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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

内田講「子どもの頃の思い出」

子どもの頃の思い出(その八)

                 平沢 内田講

草刈り

 だいたい、五月から九月いっぱいは、朝作りと称して、それぞれ草を刈ったものです。田植えの終るまでは、田んぼや土手を刈るわけです。
 草刈篭と称する小型の篭で、足支度は「足中(あしなか)」を自分で作り、素足ではくのです。田植えが終ると山草と称し、馬で山へ行くのです。八把(わ)刈って、馬に背負わせるのです。
 その頃になると、夜明けには、一斉にヒグラシが鳴きます。その声によって「カナカナ時計」と申し、それで起き出るのです。
 さて、その鳴き出す時刻は、七月初旬は四時頃から四十分ぐらい日の出が遅れるに従って、少しずつ遅れます。昔のことがなつかしく、七月二十四日に試したら、四時九分いっせいに鳴き始め、四時四十五分には、一匹も鳴きません。
 また、草刈りをする年令ですが、だいたい小学校四年ぐらいからです。私は五年から九年間刈りました。毎朝、学校での話題も草刈りの事からでした。一番辛かったのは、山草の時の時はカヤの葉で指を切ることです。
 もちろん、上手な者は一つも切りません。私は兄と行くのですが兄は何日刈ってもほとんど切りませんが、私は二月も行けば、今の人は信じないでしょうが、右手の第一と第二の指には、二十ケ所以上傷が見られます。二、三日すると黒く治っているが、次々に切るので、本当にうそのような話です。よくまあ、悪質の化膿菌にやられなかったものですね。

鳰の浮巣

 山草はだいたい一Km余、山の中へ行くので、中程は大石に沿って行くのですが、ある年、鳰(かいつぶり)の浮巣が作られ、親鳥が卵を抱いているらしいのです。
 幾朝か見た後、私は兄の制止をきかず、水中に入って三十mぐらいで、巣にたどりつき、中をみると、卵が五個あったと思いますがしめたとばかり、左腕で抱えて歩き出しました。
 すると、抱えている巣(水は胸の辺)が一歩ごとに下から小さくなり、おやおやと思っているうちに、全部、巣は崩れてもちろん卵も水の泡でなく、水の底、浮き巣とはよく言ったもので水底から水面に伸び出ている草(方言では夜這草『よばいぐさ』と呼ぶ)を巧みに揉(な)い合せて外側を高く、内側はへこみをつけて、その中に卵を生み、巣は水の増満【減】に従って浮き沈みする仕組みなのです。
 何時の年だったか、沼の水が水田のために出されて、だいぶ、減水したある日、魚を釣りに行ったらたまたま、浮巣が水のなくなった地上に置かれ、やはり、卵が五個あって、大喜びで採って帰った記憶もあります。

『嵐山町報道』283号 1979年(昭和54)9月1日
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