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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

内田講「子どもの頃の思い出」

子どもの頃の思い出(その九)

                 平沢 内田講

山鳥の親心

 「焼野の雉、夜の鶴*1、子を思う情は舐犢*2にも備われり。……」は昔の高等小学校「国語読本」にあった書き出しの名文だが、私にはまさに、これを証明するに足る体験があります。高等科二年の夏休み、例によって兄と二人で馬に乗って山草刈り行く途中、家を出て一粁位山に入り、大沼の西側の山裾を進み、沼のウラ(沼の終る辺)の、巾五十米位の水田を目前にした処で、左手の山から子連れ山鳥が飛び立って水田の上を極めて低空で、水田越しに反対側の山に向って行く。その数は何と今でもはっきり記憶しているが子が十一羽、親が一羽、余りに数が多いので「一羽位取り得るか?」と思ったのだろう。兄が「駄目駄目」と言ふのも何のその馬の背ではない尻から跳び降りて、その辺と思う地点に行ってみると、何しろ十一羽の子だからそれが一斉に草の中を走って逃げると、幾条も幾条も草が左右に揺れて素晴らしい光景であった。成る程これでは俺にはどうにもならないと思いつつも、足は二・三歩前進、雛鳥の分け進む草の揺れもずっと遠くなった時、足許二、三米の地点から親鳥一羽が物凄い羽音で飛び立った。自分は度肝を抜かれてあっと棒立ちになった侭。馬の上から兄が「アハゝゝゝ」。説明無用と思いますが、雛が完全に安全地帯に逃げ去る迄は、正に文字通り親鳥は身を挺して接敵動作を続けていたわけですね。

*1:焼野の雉(きぎす)、夜の鶴…雉は巣を営んでいる野を焼かれると、わが身を忘れて子を救おうと巣にもどり、巣ごもる鶴は霜などの降る寒い夜、自分の翼で子をおおうというところから、親が子を思う情の切なることのたとえ。
*2:舐犢(しとく)…親牛が子牛を愛しなめてやること。転じて、親が子をかわいがること。

『嵐山町報道』285号 1979年(昭和54)12月1日
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