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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

内田講『想』

第9章 高等科二学年 大正八年度 1919

1 鳰の浮巣外

 夏休み中のこと、十四才上の兄と馬に乗って山の草刈りに行き乍ら大沼の末を通ると、鳰(かいつぶり)の浮巣(水草を上手にまとめて、摺り鉢状に作り上げ大きく凹んだ所に卵を生む、生きた水草をまとめて作るのだから、水の増減貮と随って、上、下自在)を見つけたので、兄の制止を振り切って、水中に入り左脇に抱えたのはよいがそれ迄、材料が土地から生えているのだから二歩位したと思ったら、巣は忽に崩れて卵は全部水中、兄に大笑された。又大体同じ所だったが、左手から羽音高く、山鳥が飛び立ち、十羽位の雛が続いて飛び、ほんの僅かで右側の山に降りた、それっと馬から降りて山に入ってみると、前方草を揺るがしてひなが走る。一羽位いないかなと、入って行くと直ぐ足許から親鳥が飛び立った。成る程なー、子供を逃がすために、踏み止まったのだなーとつくづく感心し「国語読本の一節、焼野の雉、夜の鶴、山は焼けても山鳥立たぬ、を勉強した時しみじみと思出したもの。
 またも一つ此の辺での事がある。前に行って刈ってた小父さんが「ここに大蛇の通った道があるよ」といふ、今度は兄も行って見た。確かにある、つまり、山の腰の草が左右に押し寝かされて、如何にもそれらしき筋が一本ずーっと続いている、気味も悪いし、仕事はしてないし、何だべなー、で其の儘だった。

2 十三夜のお祭り

 越畑の薬師様は、眼と、安産とで講もあり毎年可成り人が出たが此の年は活動写真があるといふので素晴らしい人出、学校から帰えると山の中から一人で出掛けた。活動写真見たさに、待つ程に始まった。画面は雨、つまりヒルムが痛んでて全然絵にならないのだ。唯辯士が大声を張り上げてるだけ、活動写真とは雨の降るものなのかと断念(あきら)めて帰った。電源は百米位山下で、オートバイを廻わしていたったと後で聞いたった。

3 埼師臨休

 十月だったろう、秋の運動会の時、師範に行ってる先輩が二人来て居るので、学校は、と尋ねると、流行風邪で臨時休暇なのとの事、去年の井上先生の事を思い出して等居たが、此の冬菅谷地区は特別で又その中でも平沢は大々流行で、藥取りに行くのに隣同志話し合って行き、方々へ分けたとか、又養父は一日に二回も墓堀りしたとか、本当に大騒ぎだったらしい。私も大正十年(1921)二月流行最後の年に浦和の寄宿でやられ、同室の皆に親身に変らないお世話を受けました。放課後寝ると、直ぐ医師を呼んで呉れた。医師が「四十度三分、心臓の上に手拭を湿して掛けな」と言ったのを憶えてます。手拭をかけたら直ぐ嫌な気分になった。それは熱が下る時なのだった。七日位で学校に出て、数学の試験にまあ満足と、思っていたら五十七点だった、熱は恐ろしい。運動会見に来た先輩「お前いいものをはてるなー」といふ、私はその時、いわゆるマラソン足袋なるものを母に作って貰ってはいたのだ。それは熊中に行ってる兄のを見て私が母になのんだもの、母は紙方が無いから駄目といふ、私は普通の足袋で仕立てで唯筒の所を踝の下で切り、甲を裂いて、穴を左右に對に四個作って紐を通せばとその様にして作ってもらった。この頃は大抵の家に足袋型があって大人も子供も手作りをはいた、底は石裏と称する厚地布があった。マラソン足袋は、土踏まずの前後を二重にして作った。

4 受験準備と受験

 父から教員は素晴らしい職務だお前やって見ろといわれ、その気で、二学期頃からいたが、唯自分で、予、復習をするだけ、別に参考書を買ふでもなし、まあノンキにその日になり、大正九年(1920)二月十三日大雪の中、熊谷迄足駄ばきで行き浦和へ着いた。父に連れられてだったが浦和駅に降りたら仲間らしき者が何人か見え、草鞋ばきが二人居た。入ってから、相上、山本の両君と分った。
 浦和は山口旅館に泊った。大分仲間が居たらしい。私は彫刻をしてる人の子供と同室になり鉛筆削の小刀を貸してもらって大助かりだった。十四日の最初は身体検査(当時の埼師入学第一條件は先づ体格、不合格者は、明日からの試験を受ける必要無しと張り出される。「現に七郷の大先輩で、一時全国的に相当巾を利かせた「田中武男」氏は、身長不足だけで二年入れなかったと思ふ」で、身長、体重と測定し、雨天体操場(当時は体育館等とはいわない)内に色々障碍物を並べ、十回位廻ったと思ふ。終って家に戻った時、父が、お前は小さいので、駄目かと思ったったといったのを記憶してる。特別の準備勉強はしてなかったが、担任の金子先生は、辞書を買わせたが、全科詳解は使わせなかったのと、朝早く登校して理科室を使へといわれ、自学自習はしていたから、まだ授業を受けなかった所から可成り出題されたが、何とかやった。

内田講『想』 1987年(昭和62)9月記
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