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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第四部 終戦後

子ども達の独立

 頼子は高卒後、東松山比企文化社に勤務。後、職場を変えて坂戸日本シールオール会社に入社中職場結婚。有子は高卒後富士銀行成増支店に就職。一時は身体を壊して休職した事もあり。しかし支店長始め行内の方々よりの声援もあって暇を取る事も無く続勤務。これには私の想い出があるので敢えて記してみたいと思う次第である。訳というのは身体を壊し休職した時、私が暇をもらいに行った所、支店長課長関係上司の方々が次々と見えられ、暇はあげられない。銀行の仕事で壊した身体です。全治するまで給料は支払います。どうか丈夫になって今一度勤務して欲しい。こうした声援に対し子を持つ親として涙の他返す言葉も無かった。有子も期せずして、再び勤務出来た事は家族一同大きな喜びでもあった。やがて四十九年、結婚のため退職。此の折、成増商店街のお客様始め他の会社からも餞別など戴いた想い出こそ本人にとっては特に新生活への最高のスタートが出来たのではなかったろうか。結婚後、知人のお世話で小川信用金庫に就職となる。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 74頁〜75頁
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