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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第四部 終戦後

家を新築

 ここで話は前後するが我が家の二軒目が出来る迄を説明してみよう。昭和四十年(1965)九月三十日上棟した。それまで義父が丈夫での折、前の家の件に関して色々と相談させてもらい、内々の中で土地売買の形を取って置いた。と云うのは対外的に考えた時、将来他人が入ればやはり出入りする人の事も思い現在の所では不合理をきたす。そう思ったから機会あったら地所を交換して欲しい。そうお願いしていた。理解ある義父のお蔭で現在の土地に上棟出来たと云う事にある。なお後で困る事のないよう土地の譲渡に関しても登記所を通じて総てを完了させた次第である。話は変るが義父は良く働いた人で大変な財産も作られた人だが、その娘夫婦である私達には特に好意的であった。こうした事などが大きな援助につながった訳である。
 なお、関係各位の人達からの応援のあった事も申すまでもない。新築時の壁等義弟の援助は一番力づけてもらったものだ。ありがとう。その義父は私達の家土台を見て一言「良かったなぁー」を最後に、昭和四十年(1965)九月二十五日永眠となる。今も其の義父が我が家を見守って下さると思うと先祖に対し感謝の念を忘れないよう心掛けて居る次第である。家の方も出来上り、愈々跡継ぎの話も出る頃となり、昭和四十三年(1968)四月、吉沢さん達の紹介で忠志を養子縁組で我が家に迎えた。四十四年(1969)六月忠明誕生、四十七年(1972)九月五日育子誕生。我が家にも明るい家庭生活のスタートが始まっていた。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 74頁
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