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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第四部 終戦後

タクシー会社同盟交通誕生

 さてその後駐留軍労務者も大分整理があるようになり、国・県など失業対策に色々の話が出るようになった。ブロック積みの講習も其の一つで私も川越で受講した。熔接免許もそうである。浦和まで行きその資格も取得した。
 なお、運転手の方はタクシー会社の設立を考えるようになり、幾つかのブロックが合同して申請する事になり、其の方面に希望者を集めた。資金は退職金を持ち寄って会社を作る事になる。だから退職金を得るため整理になる人の代りになって退職した。会社の出来るまで数週間あった。たまたま保険の資格が失われて居た時、六年生の頼子が盲腸炎になって随分苦しんだ。暮れから正月、家族五人で正月を病院で過ごした思い出など、今は忘れられようとしている昨今である。
 その年二月、タクシー会社同盟交通が出来たと記憶する。一人三十五万円の出資で始まり、練馬営業所と杉並営業所であった。私は練馬営業所勤務。会社にも色々の出来事があったがどうにか落ち着いた。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 73頁〜74頁
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