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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第四部 終戦後

駐留軍で運転手となる

 そこで望んで居らなかった駐留軍キャンプで働いてみようと決心したのである。八月、当時日本人が多く働いていた。二度とハンドルを持たないと決心していた頃だったが金の欲しさに再び車の方に挑戦してみようと思い受験した。アメリカ兵の試験管「ユー、ナイス」。合格した翌日から来て下さい。通訳の話。ところがたまたま朝鮮動乱時で忙しく今すぐ働いてくれとの事。その日から働いた。運転手は一般労務者より給料も良かったが仕事も忙しかった。とにかく言葉にも不自由したが通訳も居り自分の勘でも働けた。二年も過ぎた頃は夜勤AとB班に分れて働いたが、時間的にはかなり余裕が出来た。夕刻十六時出勤、明朝九時退勤。そして翌日の夕刻十六時出勤と云う変った勤務であった。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 71頁〜72頁
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