第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
権田本市『吾が「人生の想い出」』
第三部 青年時代
自動車教育班は女子五人、男子二十五人、計三十人だった。教官として就任させられ数日が過ぎた或る日、アパートに「召集スグコイ」の電報が来た。妻は「来るものが来たのだ。」と云い乍ら顔の色は悪かった。しかし、私の直感では自分に来た召集電報では無いとそう思った。だったら誰にと云う事になった。たまたま妻には弟が居たので、若しかしたらと話し合った。
権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 53頁〜54頁
とにかく暇を貰う可く職場に急いだ。ところが此の文面は君に間違い無いと云う事にされ、各部から餞別を戴いてしまった。それに召集が来ると市役所からビール六本と清酒二升が配給され「帰郷の途」に。どうしても自分に来た召集で無い気がして私は軍服を着たが、着替えの洋服も持った。尚、ビール六本はアパートで幾人が送って下さった人達と乾杯し、清酒二本は持って帰郷の途についた。
車中でも複雑の気持ちはかくせなかった。御想像下さい。だから、せっかく戴いた餞別にも手をつけず、そのままにして置いた。やがて故郷の嵐山駅に着いた。私を待つ人は見えず、妻の実家、隣組の人が何人か居て、「来た来た、何していた。遅いではないか。」と声かけられた。それ見ろ、私は腹の中でそう思ったが、妻は「馬鹿云って、内の主人だって召集だよ。」呆気に取られた隣組の人達。あの時の光景は今も想い出すね。早速私の実家に連絡したが召集は来て居ない事が解かった。思った通り、先ず衣類の着替えを急いだ。
事の起こりはこうである。同じ嵐山局から発信される電文だが戦時中は字数まで少なくするため発信人の名を入れて無かった事が誤解を招いたわけである。早速餞別を貰った所に間違いの件、電報を打った。貰った餞別もお返しするなど暫く気分の悪かった事を今も想い出す。