第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
権田本市『吾が「人生の想い出」』
第三部 青年時代
召集解除
部隊は高橋連隊長に変って国府台の営庭には四月の桜が満開に咲いた。四月十日自分の誕生日である。二十六才其の日の桜の花が押し花にして今も保存してある。宝物のような記念の花である。此の想い出を書くに当ってたまたま其の年に限って書いた日記を引出して見た。昭和十五年(1940)、紀元二六〇〇年、観兵式も行なわれ自分達も参加、二時間も立通しで大いに疲れた事も想い出す。尚、東京は式典で花電車も出て市内は非常ににぎやかだった。記念の「切符」一枚もある。東京には近いので外出して此の様子を知る事が出来た。
権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 49頁〜50頁
さて平穏の続く軍隊生活だが吾々は召集兵であるが、何時解除になれるかの話も出る所でない。厳しい隊長は色々の事が好きで、現役以上の教育である。下士官クラスは週一回書道提出。軍人に賜わりたる勅語など二千六百有余字も書かされ、その提出。又寒稽古は下士官以上全員である。だから鬼の「十八」仏の十七なんて連隊語の出た時もあった。十七、十八と云うのは国府台は道路を挟んで一時だが野戦重砲兵十七連隊と十八連隊当時あり、其の後変って東部七十三部隊と七十四部隊となる。
このように普段と変らない軍隊生活で日曜、祭日などは外出、外泊など出来たので小遣いには誠に不自由でした。吾々が召集で再度軍隊生活中、二千六百年祭に当り昭和十五年(1940)十一月、観兵式参加で中野に宿営した事も想い出す。二泊位したと記憶する。あの頃の東京と今では雲泥の差である。此の祭り中、外出の折、浅草の食堂に入って食事中、何処かの方が兵隊さん御苦労様と云ってお酒三本自分にくれた。此の件で面白い一時々があったが長くなるので解説は止める事にする。