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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第三部 青年時代

軍隊生活

 さて話は前後するが応召当時のノモンハン事件だが出動した部隊は凱旋ならず敗戦との事。第二回編成して出動した部隊は終戦で戦闘する事なく、外地見学で済んだなんていっていた。恥しい話だが先発隊は敵の奇襲作戦、戦車の攻撃にあい火砲は取られてしまい、自分の身体を守って逃げるのが精一杯だったとの事。タカツカサ部隊だった。自分の戦友もいたので細かく聞く事が出来た。ノモンハン終戦で同時召集された者達はほとんど解除、しかし自分達は材料廠で解除になれない。最も三ヶ月教育もあり一応技術下士官として働いていた。
 しばらくして再び召集が始まった。今度は秘密動員である。さわぐ事なく赤紙が来ると一人でこっそり入隊して来る仕組である。先にノモンハンで召集解除になった人達も自分等のいる所これまた入って来た。「あれ?又来たのか。」「何まだいたのか。」「そうだよ。今度は帰れないぞ、大陸に行くんだから。」こんな会話をするようになってしまった。要するに部隊を編成しては送り出す仕事が吾々の仕事であった。これが支那事変拡大中の時だったと記憶する。自分達は間に合わぬ兵器があると直接兵器廠に行ったり、無線会社などに行ったりして完全装備に努めるなど、かなり忙しい時期もあった。何組かを編成して送り出した後は平穏の連隊に戻った。と思って居る時、又しても、早く大陸に渡った組は凱旋の型で連隊に還り、召集解除になった者も居り、自分達と違って出入りの激しい人も居った。ある准尉は帰還した時戦況の様子を話してくれたが、日本軍が中国の大陸で最も有利にある時だったように想う。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 48頁〜49頁
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