第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
権田本市『吾が「人生の想い出」』
第三部 青年時代
上陸後の様子はまったく記憶にない。ただ原隊三島には二日位居たように思う。北支から三島に注文して置いた除隊時に着る「満期服」を身体にに合せたりして私服に着替え除隊したと思う。尚原隊でも初めての外地還りで凱旋を祝して、会食を営庭で行ってくれた。今もその時の写真はアルバムに載せてある。そして十二年三月十二日待望の除隊になったと思う。
権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 44頁〜45頁
自分は出征時面会に来てくれた兄が東京にいたので一先(ひとまず)その案内で時間を過した。此の頃は満州事変以来外地還りの兵隊は居らない時であった。たまたま自分は北支からの凱旋兵士として村を挙げての歓迎を受ける事になっており小学校の生徒は遠くは八キロ(二里)も歩いて昔の村境、今の地産入口にある粕川の橋まで小旗を手に手に持ったり青年男女の方々も多数交えての歓迎。お出迎え下さった折誠に申し訳ない事をしてしまった。池袋発予定した電車を見送ってしまった。此の時位赤面した事、それだけで済まさせるものでもないが余裕のない行動に自分自身を恨み嘆いた事はなかった。昭和十二年三月十二日の出来事と記憶する。