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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第三部 青年時代

軍隊生活

 中一日は初年兵から三年兵迄で中隊にいた。愈々自分達は北支を後に原隊三島に向って出発。十二年(1937)三月初めはっきりした日に覚えはない。乗船はタンクーという所だったと思う。そして仁の島にて検疫を済ませ内地上陸したと記憶する。数日の航海だったとはいえ、五十年前の自分の頭には色々の事が浮んだ事、今も少しは覚えている。駐屯地を離れて船内にいる中、ふと想い出したように「アー、良かったなあ」。そして何の気遣いもなくなった今、甲板に出て水平線を眺めては戦友と語り合った想い出。遠く彼方の船を見ると波間に消えたり浮かんだりしていた。こうして何日かの後、愈々我が国の島々が目に映り出した頃から急に胸に込み上げて来る何かを感じさせられた。それこそ胸に手をあてずとも次から次と頭に浮かんできて一人涙を流したこと、今も忘れられない想い出である。
 然らばどのような事が感じられたかというと説明する事にする。話は戻って内地を出る時面会の折お話したが、もしかしたら二度と帰れないかも解からない叔母のいった言葉。自分でもその位覚悟していた当時である。それなのに今五体満足で故郷の地に着けるのだ。そして誰とでも話し合える事が出来る、そう思っている。中北支で過ごした自分の行動が又しても次から次と浮かんで来たのである。人間誰しもそうだと思うが「ヤケのヤンパチ」という事に陥り易いのではなかろうか。良くない事とは知りながら自分も一時はそんな事に直面した時期があった。伍長勤務上等兵進級内務班付き。異動した時だった。しかし自分はいい神に拾われたお蔭で当時とすれば最高の地位になれて、今懐かしの原隊三島に凱旋せんという時だった。あー自分は努力が足りなかった、すまない行動した時もあった、などざんげの気持ちを起こさせられた事こそ神聖なる気持ちになれたのではなかろうか。スタートに立って号砲待つ人の気持ちはみんな同じだと思う。恐らく戦友達の気持ちも変りなかったと今改めて推察する次第である。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 44頁〜45頁
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