第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
権田本市『吾が「人生の想い出」』
第三部 青年時代
話は一旦切って事件前の様子を続ける事にする。自分は以前話したが第三内務班にいたが北支に来て国府台から来た同年兵に伍長勤務上等兵がいた関係で一度は内務班付きを降りていた。
権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 42頁〜43頁
そんな頃自分も伍長勤務上等兵に進級したのである。ところが馬部隊出の自分達と自動車隊出の兵隊では生い立ちの違いが現れて来て中隊の上官も心配していた矢先、自分は第四内務班に異動させられた。どうしてかというと四班には伍長勤務上等兵が居らない事と、内務班立て直しの特訓という事だった。四班には厳しい軍曹の班長がいた。そして自分に指示した言葉、『他の上等兵と力を合せ中隊の模範となるようにある程度厳しくやるように。責任は班長が取るから心配無し』。あの時の指示は今でも思い出せる程である。
日曜、祭日といっても外地では外出が出来るわけでもない。そこで休日には銃剣術などで汗を流し、エネルギー発散など試みたものだった。お陰で我が内務班は急に良くなり、自分も大いに認めて貰えた。何事もそうだと思う。勿論自分一人で出来るわけではないが相手の心を知る事によって良くも悪くもなると云う事のいい勉強になった。北支駐屯中の思い出の一つである。