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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第三部 青年時代

軍隊生活

 十一月から一月に初年兵が入営するまでの間に、予備兵を召集して教育する期間が三週間位あったと思う。教官の助手として手伝いさせられたが、始めは号令も満足にかけられなかった。ずっと年上の兵隊、しかも社会人の臨時入隊である。従って現役の将校も余りうるさく云わなかった。此の頃の自分は軍隊生活という事に特に考えさせられた時である。名誉ある軍人となり二年兵となる。今予期もしなかった上等兵に選ばれたが、知らず知らずの中にも他人に認められる様な行動が出来たのだろう。入隊当時からの毎日を振り返ってみるに、苦しまぎれというか、こうすればビンタが来る、又来ても少くて済む。そんな事位だと思うが、自分の頭の働きをさせてくれた始まりであったのかも知れない。
 一例を説明すると入浴に行く時など、行進中に上衣のボタン以外は全部外しておく。しかも人に知られないようにね……。だから解散して湯に入るのは何時も先頭。他の人が入る頃は石けん使って洗い終り、出るのも早い。だから馬の水くれも遅い事無し。
 これも一例だが自分だけが良ければでは団体生活は成り立たない。細かく説明すると長くなるが、先ず一ヶ班で(一ヶ分隊の話を前にしたが)馬装などとても大変な仕事がある。軍隊語で「非常呼集」がかかると戦闘準備が如何に早く出来るか、その時の下準備を責任者は常に考えて置かねばならない。自分一人でなく分隊をも良くする事で中隊も良くなる。常にそう心掛けていた。至然【?】の行動を自分なりに覚えさせられた軍隊生活で得た収穫であったように思う。即ち実行力である。部隊は砲兵隊、砲手は火砲の準備、観測班、通信班、無線班は器材の準備等だが、其の火砲を牽引(けんいん)する馬十二頭の支度如何に依って早くも遅くもなる。馬部隊の悩みである。
 馬の装備の話だが初年兵当時自分と同じ馬具の責任者だった二班のある兵隊が大失敗を演じてしまった思い出を一寸説明してみる事にする。彼は和歌山県出身、そして自分と同じ馬具の責任者として第二班にいた。或る夜突然非常呼集が掛けられた。ところがたまたま馬具が分解されていた。急いで組立て馬装してもかなりの時間を要してしまった。戦闘に間にあうはずがない。分隊は全滅。此の時の分隊長は軍曹。怒った事、軍隊ならではの制裁である。あの広い革のバンドでどの位打たれたか。今思い出してもぞっとする。なぜ馬具を分解したかというと、初年兵同士で分け合って磨くからである。其の場で組んで置けば失敗も無く済んだ事である。此の時自分は、途中で中止してはいけない、やる可き事は必ずやらねばならないと身を以って得た教訓である。
 やがて召集兵(予備役)は教育も終って除隊。隊は初年兵受入の準備をする。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 33頁〜35頁
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