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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第三部 青年時代

軍隊生活

 次は自分個人の事である。夜、入隊も間のない頃消灯後トイレに行き、帰りうっかりして歩く時、上履の音をさせてしまった。とたんに隣の班二年兵に呼ばれビンタを大分喰った。静まった頃でよく響いた。涙を呑んで班に戻った時、班の二年兵が自分を呼び今うたれたろう?…と聞かれた。しかし自分が悪かったのでと云ったが、其の二年兵の名前知るやよしおれの班の初年兵に手を出したと云って、逆にその二年兵にビンタをくれた一件もあった。有難くもあったが後日が恐いとも思った。でも後で知ったが此の二年兵は連隊きっての名男、恐い者なし我が班の「護り神」のようにも感じられた。だからと云って安心は出来ない。一歩外に出たら彼の目が届くわけでない?…これが軍隊と云う所である。
 こうした日々が続けられ、前にのべた訓練と合せて第一期の検閲が終る訳である。これらが初年兵にとって最初の運命と云うか別れ目になる時期でもある。先ず上等兵候補が指名される。中隊で十四、五名位だったと思うがはっきりした記憶は無い。そして七月頃には一等兵に進級、精勤章が腕に一本着く。肩の星は二年兵と同じだが腕の一本が違って来る(多い)。そこで衛兵勤務の方もつかされたり、又此の時期に各部所行きもきめられる(工場、医務室、炊事場など)。先発一等兵になると先ず衛兵勤務も早くから着かされる。厳しい規則に泣かされるのも此の頃からである。とにかく衛兵勤務と云ったら軍隊で一番大事の勤務でもある。交代は毎夕で二十四時間勤務。これに立会うのが週番司令(少、中、大尉位)である。勤務の構成も説明すると、衛兵司令は伍長勤務上等兵以上の下士官、歩哨係上等兵一、他に兵数名だったと思う。仮眠時間もあるが初めはなかなか眠れるものでない。失敗したら重営倉が待っている……。平日勤務も去る事ながら日曜祭日ともなれば余り有難くも無かった。人の外出が羨ましくてね。
 とにかく他の部隊と違って馬部隊位大変な所もない。相手が生き物だけに自分達の事より先ず馬からである。外出は朝食時限から夕食時限と記憶するが、馬の手入等は普段と変る事無く実施される。初年兵は外出しても天候が悪くなると馬のねわらが気になっておちおち遊んでもいられない。出るのも遅くなるが帰営は早くなる……。最も馬部隊で云う言葉に「人間は葉書一枚で来るが馬は葉書一枚では買えないぞ」。人権無視も甚だしい軍国の世……。
 何かと云いながらも初年兵が受継いで出来るようになった頃、二年兵は満期除隊の時となる。確か十月三十日が除隊だったと思う。やれやれの気分だが人員も少くなれば勤務は多くなる。楽は出来ない。そうして居る中、先任上等兵が発令された。中隊で十三名だったと思う。自分も其の一員になれ、うれしくもあったが心配でもあったというのが実感であった。とにかく今少し学が欲しかった。自分の生立ちからして気は敗ずと思えど後悔は先に立たずである。今少し勉強して置けば良かったなあー。前にも述べたが足りないものは、自覚をもって努力する他ないと自分にいい聞かせた。だから名誉の上等兵に進級したが家に報告する事も無く、軍隊生活の毎日を失敗の無いようひたすら努力したつもりである。
   権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 33頁〜35頁

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