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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第三部 青年時代

軍隊生活

 それでは前に戻って入隊時から一期の終る間の訓練の様子など細かく思い出してみる事にする。
 先ず野戦重砲兵連隊の編成から説明する事にする。第一中隊から第六中隊まであり、半分の第一中隊から第三中隊までを第一大隊、第四中隊から第六中隊までが第二大隊と呼び、合わせて連隊となる。一ヶ中隊の人員は百二十名。一ヶ班から四班まであり、一ヶ班三十名。そして二年兵と初年兵半々。其の他に班付伍長、班長は軍曹と二人入る。中隊には隊長、準尉、曹長もいる。尚三島には野戦重砲兵二連隊もあって旅団司令部もあり、将官の馬が一中隊に配属されており、馬を世話する馬丁も居た。
 昔の階級制度も思い出してみる事にする。二等兵、一等兵、上等兵、伍長勤務上等兵、伍長、軍曹、曹長、准尉、少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥。他に見習士官*1があった。以上が旧軍人の階級だった。
 普段の訓練そして演習時は一ヶ中隊で四分隊が出来る。一ヶ分隊とは火砲一門に砲手八人、馭者六人、馬十二頭。その他に分隊長及び補佐。いずれも乗馬して居る。
 今少し細かく説明すると火砲は砲身と砲架と云って、常に分解されて居り挽馬に依って移動する。一旦射撃の際はこれを連結して射撃するのである。四ヶ班四分隊に対し観測通信、無線など敵陣を探知する観測班なるものが常に中隊長の指揮下に居る。以上があらましの説明であるが一期の終る迄には一人前として活動出来るよう訓練されるのである。

*1:見習士官…士官学校・航空士官学校・予備士官学校を卒業した者が少尉に任官する前、曹長の階級で本務に必要な勤務を習得する期間の職名。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 29頁〜30頁
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