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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第三部 青年時代

軍隊入隊

 やがて一月二十日。村人に送られて故郷後に三島野戦重砲兵第三連隊第一中隊に入隊する。今は日記も書き続けているが、当時はそんな思い付きも無かった自分である。其の日の天気とか細かい状況など思い出せないのが残念である。只東京まで東上線。そして東京から三島まで二、三時間もかかったように記憶する位である。
 軍隊生活に入る。先ず軍隊語とでも云うのか、「私」は使わないで、「自分」は第一中隊第三班に所属する。先ず隊内の案内から炊事場、馬小屋、馬具。砲廠火砲のある所。自動車は一台も無い。人間が馬を使って大砲運びも射撃もする。一切の仕事が馬に依って行なわれる。
 此々で入隊時の印象として残った事を思い出したので紹介しておく。先ず驚いたのが言葉遣いである。普通の会話がまるで喧嘩しているかのように思えた。又、一ツ年上の先輩がものすごく年上の人に感じられた。だから二年兵から云われる事も上官から云われるような気になってしまう訳である。さて班には初年兵に一人の二年兵が戦友として当てがわれる。今日からおれがお前の戦友だ。解からない事、困った事などあったら何でも話せと親切にしてくれ、しかし同じ二年兵でも余りたよりにならない人も居たように思う。結局自分は自分としての自覚を持つ事が大切である。と云う事。つくづく考えさせられた入隊時の感想でもあった。
 此の部隊は特殊部隊の関係で色々の県から集って来ていた。隣村では、今の滑川町が一人、玉川村が一人、秩父の方から二名と埼玉からも大分多かった。あとは千葉、山梨、東京、静岡、愛知、和歌山方面はかなり多かった。中隊は違っていたが小川町の人も居た。要するに混成部隊である。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 26頁〜27頁
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