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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

権田本市『吾が「人生の想い出」』

第三部 青年時代

青年時代

 こうして入隊も近づいた十二月頃、私にロマン?…正に初恋とでも云うのか。
 説明の前に私が働いて居た店の様子から紹介しないとピンと来ないのである。この店は八百屋兼運送業で、店も大きく番頭が三人、一人は特に若く車の助手に出る。他に主人の姪で十八才とかの娘一人。それに子守りに十六才の女の子が居た。車の方は運転手常時二名、助手は私を入れて三名。一人の運転手は車庫に世帯を持って住み、他の者は店の二階に住んでいた。
 ある事件が起きた。一所に住んでいた運転手で二十五才だったか、給料は二十五円位かな。私達は七円。大分違って居た時代。一人で小遣もたくさん。遂に熊谷の遊郭通いとなり、遊女と心中してしまったのである。その人の代りに朝鮮の人が運転手に入る。たまたま店の裏に一人娘がバスガールして居た家あり。私達も仕事の合間にその家に行ったが、おばあさんと云う人が面白い人だった。何のはずみかその運転手は養子として入り込んでしまった。うまくやったのだな。一時は話の的となった。
 それでは愈々本番と行こう。店の子守りの友人でよく遊びに来て居た娘が居た。どんな風の吹き廻しか私を好きになったらしい。私自身はそんなに意識して居た訳でも無かったように思う。事の始まりと云えば、冗談がほんとに思われたのかもしれない。「満州の何部隊に入るのか」と問い詰められた。「手紙書くから教えてくれ」との事。私にして見れば女の人から手紙貰ったら軍隊ではいやな思いをしなければならない。その事ばかりが気になって教える気にもなれなかったのである。
 話は一寸戻るが昭和六年(1931)満州事変以来、直接現地入隊するようになり、彼女の兄さんも満州に入隊していたとか。そんな事もあってなんとなく懐しさの余り彼女は私に近づいたのかもしれない。やがて入隊間近の十二月末頃と思う。私は彼女に呼び出され随分泣かれた。この一件は今も薄らに覚えている。今だったら遠慮しないのにね(笑)。

権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 24頁〜25頁
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