第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
権田本市『吾が「人生の想い出」』
第三部 青年時代
入隊通知
役場から来る通知を待ちながら数日は過ぎた。前に話した柿沼君は乙種で現役無し。私の方は甲種で少しは鼻高だった。実は後の話だが柿沼君も会社を止めて、私の働いて居る所へ来たのである。免許欲しさである。彼は会社でも自動車の助手をして居り実地の方はかなり出来た。
権田本市『吾が「人生の思い出」』 1989年(平成1)8月発行 23頁〜24頁
やがて役場からの通知が実家に届けられた。入隊の件である。場所は静岡県田方郡三島町野戦重砲兵第三連隊第一中隊、昭和十年(1935)一月二十日入隊すべしであった。しかし通知に対してがっかりした事があった。と云うのは此の部隊は馬部隊で自動車は一台も無いと云う事である。一旦通知が来た以上どうする事も出来ない。私は農家に生れたが、二十才迄で馬に一度もふれた事も無い。これが入隊前の苦労と心配だった。行きたいと云っても行かれる所でも無い。そう思うと断念する事も出来た。
その頃、知人や仕事仲間からは帝国軍人になる人が一目置かれるようになった事も事実だった。だから会う人から何処の部隊に入るのかとよく聞かれた。私は冗談云うのがきらいでない方だから軽い気持ちで「満州だよ」と言葉を返していた。