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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

大塚基氏編『ある夏休みのことです』

11.ぶちの死 きぬえ

 私の家には、ぶちと言う猫がいました。ぶちと言う猫は、毎晩一匹〜三匹のねずみをとってくるえらい猫でした。毎晩ねずみを取ってきてじゃらしたり、かまったりしたことさえありました。ところが最近年をとって病気にかかって死んでしまいました。
  台風の夜のことでした。家中で夕飯を食べていると、後の方で「ニャーン」と言う声がしたので、私は後を見ました。すると、突然お母さんが食べるのをやめ て、「あっ、ぶちがお勝手*1に上がろうと手足を延ばして、目をくりくりさせている。きぬえ、ぶちが上がれないから上がらしてやりな*2。」と早口で言っ たので、お父さんやみんながたまげて、夕飯も食べずに見ている。私はすぐ夕飯を食べるのをやめて、ぶちをお勝手に上げました。ぶちは年を取っていたので体 が弱っていたのでした。
 ぶちはお勝手に上がるのに疲れて、静かに目をつぶって寝てしまいました。
 食べ終わっておぜんをかたづけようとすると、お母さんが、「ぶちは弱っているのだから、静かにしておきなさい。」と言いました。私も、にいさんも、みんなそう思ったので静かにさせそいて*3やりました。
  そしておじいさんは、「こんなだからおじいさんはみんなより先に寝るよ。」と言って寝てしまいました。そして布団の中に入るとおじいさんは、「ぶちは良く 働いたのにかわいそうだな。」と言いました。お母さんはお勝手もとのかたづけが終わると、「ぶちはかわいそうだ。」と言って、お母さんの前掛けの古*4を 持ってきて、涼しかったのですいてやりました。静かに暖かそうに眠っています。
 そして、もうみんな眠ってしまって、私と、お母さんだけになって しまいました。「ぶちはかわいそうだ。」と言って、のりのかんずめをぶちの口のそばにおつけてやると、ぶちは目をつぶったまま少し食べてやめてしまいまし た。そして、私とお母さんも、「もう遅いから休むことにしましょう。」といって寝てしまいました。
 その翌朝、私がふと目を覚ますとまだ台風はや みませんでした。すると、なにか家の人が言うのが耳に聞こえてきました。「かわいそうだったなあ。」と言う声や、「よく働いたのにおしいことをしたなあ」 と言う声がしたので私は「おかしいなあ」と思って、寝まきのまま飛び起きてみるとなんでもなさげなのです*5。お父さんやおばさんは、だまって蚕に桑の葉 をくれていました。そして私は、「おかしいなあ」思いながら戸ぶ口*6をでるとすぐまえにぶちが死んでいました。私はぶちがかわいそうで胸がいっぱいに なってしまいました。
 そして私は、「ぶちがとうとう死んでしまった。」というとお母さんがお勝手もとでご飯を炊きながら、「きぬえ、もう死んでしまったのだからしょうがないんだよ。」と言いました。私も、「それもそうだなあ」と思いました。兄さんも弟もぶちのいる近くにきて、「かわいそうだった なあ。」と何回も繰りかえして言いました。
 そしてお母さんが、「きぬえ、ご飯だからみんなを呼んできなさい。」といったので桑の葉をくれている お父さん、おばさん、それからおじいさんを呼んできました。そしてぶちを戸ぶ口の前においたままみんなと一緒にご飯を食べようとすると、ぶちのことが頭に 入ってご飯が喉をとうりませんでした。私はご飯もろくに*7食べず黙ってみんなの食べるのを見ているだけでした。
 「家中で可愛がっていたぶちが 死んでしまった。」とおじいさんが言いました。私はおじいさんに、「ぶちはいつ、どこにいける*8の。」と聞きました。そしたら、「そうだなあ、今日はか ば山へいけに行くんだよ。」と言いました。お母さんは前の家に行くと、前かけの古いのを持って来ました。「きぬえ、この前かけでぶちを包んでおきなさ い。」と言いました。私はすぐぶちを包もうと、すぐそばまでいくとなんだかこわい気がしてなかなか包めません。私はなんだかやな気持*9がしてならないか らお母さんにたのみました。「それじゃお母さんが包むよ。」と言いました。私はお母さんが包むのをみていました。包み終わってから、今度は、こやしぶくろ*10に入れてなわでしばりました。
 私はお茶を飲んでいるおじいさんに、「おじいさん、ぶちを袋に入れてしばっておいたから、はかば山へいけ て下さい」と言うとおじいさんは、「ああ、いけて来るよ。」と言いました。私は死んだぶちのことを、「ぶちはもうはかば山へいけられるんだよ。」と言いな がら袋へ入っているぶちをなぜました。そして、おじいさんはとうぐわと袋に入っているぶちをかかえてはかば山へいけに行きました。
 そのあと家中で、「もうぶちは、はかば山に行ってしまった。」とそれぞれに言いました。「かわいそうながら、もう二度とはかば山から帰ってきないのだ。」と私はそう思いました。「かわいそうなぶち」私は一週間たっても、一ヶ月たっても忘れることが出来ませんでした。

*1:お勝手…台所
*2:やりな…やりなさい
*3:させそいて…させておいて
*4:古…古いの
*5:なさげなのです…ないようなのです
*6:戸ぶ口…家の出入口
*7:ろくに…いくらも
*8:いける…埋葬する
*9:やな気持…いやな気持
*10:こやしぶくろ…肥料を入れる袋

大塚基氏編『ある夏休みのことです』 1994年(平成6)12月17日
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