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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第2節:回顧録・作文

大塚基氏編『ある夏休みのことです』

8.花火 みちこ

 私は、22日に母と妹と三人で花火を見に行きました。バスは満員でした。妹はバスに酔いそうになってしまいました。窓のそばにいったら酔いませんでした。
  私達は、バスから降りると仕掛け花火がよく見えるように橋をわたって向う岸に行きました。向う岸につくとすぐ始まりました。一番初めは打ち上げ花火でし た。そら一面に広がってとてもきれいでした。だんだん見ていくうちに仕掛けが四つ終わりました。こんどは水中金魚です。荒川の水の中へ金魚みたいなものが たくさん浮かんでいます。前の方の人がみんな立ってしまったので見えなくなってしまいました。それで、後の方の人が大きな声を出しておこっていました。前 の方の人は、人のことはかまわず自分さえ良ければ良いのだという考えかたと思うけれども、なんでも人をどかしても見れば気がすむのか、自分だけ良ければそ れでよいのか。だれだか分からないけれど人に迷惑をかけるようなことはしないほうがよいと思う。
 水中金魚を見てから、道にあがって行こうとした ら人がたくさんいて通れなかったのできみよちゃん達と押し合って上にあがった。巡査が橋の上で見ている人にあぶないからどきなさいと注意していた。私達も 橋の上で歩きながら花火を見た。そのうち、警察の自動車がサイレンをならして橋の上を通りながら、「今日、交通事故があったからあまり橋の上で見ないで下 さい。」といった。私は、「どんな事故がおきたのかなあ」と思った。「人が死んだのかなあ、それとも軽症かな」と思った。事故に逢った人はかわいそうだな あ。
 橋の上で歩きながら見ていくうちに仕掛け花火がはじまる。みんな立ち止まってながめる。私がはやくバスのところにいこうと言ってもみんな平気で見ています。また仕掛け花火が始まるとまた立ち止まってしまう。私はそんなにゆっくり見なくてもよいと思う。
  打ち上げ花火が始まるとみんな空を見上げる。ドンと火の玉のように空に昇っていってはねる。はねるととてもきれいだ。仕掛け花火が九台終わってもまだ平気 で見ている。十台終わった時はまだ橋のまん中だった。それから人ごみの中を急いで歩くのはたいへんだ。バスの所に来るともうバスはいっぱいだった。私は、「まだ立っているのかなあ、いやだなあ」と思った。みんなに仕掛け花火をいく台見てきたのか聞くと、八台見てきた時はいっぱいだったそうだ。
 帰りのバスもきゅうくつのを*1我慢をしてきた。古里の吉田入口で三十人ぐらいおりた。私はやっとすわれた。うれしかった。みんなもすわれた。
 農協の所へつくと迎えに来ていた人もいた。私達はどの仕掛け花火がよかったかを話しながら家に帰った。

*1:きゅうくつのを…きゅうくつなのを

大塚基氏編『ある夏休みのことです』 1994年(平成6)12月17日
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