第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
里山のくらし
今から約70年前の昭和十年頃、平沢でヨッチャン(奥平美太郎さん、大正12年生まれ)、ボウヤン(奥平武治さん、大正13年生まれ)、モリサン(山田森之助さん、昭和3年生まれ)と呼ばれていた子供たちの夏の遊びの回想です。
お昼を食べて一休みすると、遊び仲間が集まり十三階段に向けて出発します。十三階段は谷川橋が架かる前にあった遠山と小倉をむすぶ季節橋の下流です。張り出した岩の上に着物を脱いで素っ裸になり、槻川の深みを対岸まで泳いで渡ります。そこには大きな岩があり、一段、一段と手をついてのぼると十三段目がてっぺんです。平沢の子供達はその岩を十三階段と名付けていました。ここから鼻を結んでふかんぼう目がけドボーンと飛び降ります。これが出来るとどんなものだと胸を張り、少し偉くなった気分でした。
泳げない子は深みにはいらぬように注意して、浅瀬でパシャパシャと水浴びをします。犬かきを覚え、立ち泳ぎや抜き手ができるようになると、向こう岸までどれだけ真っ直ぐに泳げるか競います。川の流れが速いので、力がないとずっと下流まで流されてしまいました。泳ぎにあきると、むぐりっこや水中での鬼ごっこ、魚とりをします。岩の間に手を突っ込んでウロさぐりをしてギギュータ(ギバチ)をつかまえます。体が冷えると岩の上で甲羅干しをしました。少し離れた場所に水面には顔を出さない岩があり、大砲の砲身に見えたのでタイホウ岩と呼んで、またいで乗って遊びました。遠山では、ホウレキ岩、ノゾキ岩、フドウ岩などと名前がついた岩が槻川にありました。
川で泳げるようになると、近くの大沼で泳ぎました。沼の縁を一周する時は、つかまるものがあるので安心ですが、横断するときは緊張しました。沼の水は重いといって川で水浴びする時より注意するようにいわれていました。
平沢寺は無住だったので子供のよい遊び場でした。墓地のカシノキの張り出した太い枝にフジつるをゆわえて小さな子にブランコをさせたり、ぶら下がって飛び降りました。お盆の時は寺役の人が泊まるので、男の子は一緒に泊まり寺の上にある白山神社で度胸試しをします。寝ている子の腹にこっそり、へのへのもへじを書きました。翌朝、家に帰って朝食を食べ、すぐに川へ行って裸になるといたづらされているのがわかりました。本堂には子供の落書きがありました。
ヨッチャンが二年生の時(昭和5年)の事です。お盆には小学校の校庭に盆櫓がたちます。夕食を早くすませ上の者と菅谷に出かけました。昼間の遊びの疲れがでて、一足先に一人で帰ることにしました。眠気と戦いながら延命橋まで戻って来ましたが、橋から落ちて足首をくじきました。トウモロコシの芯やヤナギを燃した灰に、うどん粉と卵と酢を交ぜてこねた家伝薬を患部に貼りました。よく効いたそうです。
『広報嵐山』183号「里やまのくらし」2006年(平成18)7月1日 より作成