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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第1節:ひと・生活

里山のくらし

里山のくらし11 馬内

 2005年12月初め、嵐山町の北端、古里の馬内(もうち)で庭先のムシロの上で作業をしている人に声をかけました。箕(み)作りに挑戦中の1926年(大正15)生まれの吉場幸次さんです。農家の庭は稲・麦・豆などを脱穀・調整する作業場であり、収穫したものをムシロに広げて干す乾燥場としても大事な場所だったと語ってくれました。

田島菊、大木久作、吉場ツル、田島定治さん|写真
左から田島菊、大木久作、吉場ツル、田島定治さん。吉場幸次さんは故人となられました。

ノッペのタッペ

 馬内の土壌は粘土(ねばつち)まじりのノッペです。冬になり地表が冷えて零度以下になるとよく霜柱がはりました。霜柱をタッペといいます。ノッペは粒の細かい火山灰土でタッペが10cmも立つことがありました。馬内ではひと冬の間、束をほぐした稲ワラを庭中に散らして、タッペを防ぎました。この敷きワラは、春になるとサツマ床に使いました。古里地内の内出や尾根では土質が違うので、ワラを敷くことはしていません。

カシグネ

 町内を歩くと母屋を隠すほどの高さの生け垣(クネ)を屋敷の北側にめぐらした農家がみられます。シラカシを主とするカシグネは冬の強い北風を避ける防風と類焼を防ぐ防火のために作られました。カシグネは新芽の出る前の3月〜4月に手入をします。切り落とした枝は燃料に使われました。

カシグネ|写真

ワラニュウとワラボッチ

 一年中、ワラは利用されます。脱穀後のワラを冬季、戸外で保管するため、ワラニュウ、ワラボッチを作った家が町内にあります。
 ワラの乾燥と防風を兼ねて12月頃、屋敷の北側にワラニュウが作られました。敷地内の立木を利用して桟(さん)を渡します。そこにワラ束をぎっしりとすき間なく掛けます。五段ぐらい積み上げると3メートル位の高さのワラニュウができました。天気のよい日にはワラニュウの前はうんと暖かくなり、ムシロを敷いてぬくとばっこ(日向ぼっこ)の場所にもなりました。暖かくなると外して、堆肥や、サツマ床、牛や馬の敷きワラに使いました。ワラニュウは火事になった時に危ないと、段々作られなくなっていきました。
 また、立木を利用して庭の隅にワラボッチも作られました。余り太くない木の根元から一束のワラの先を二つにわり、木を挟んで結んでかけます。下から積み上げてゆき、高くなったら梯子をかけて積みました。ワラは段々に取りはずし、押し切りで3cm位に切り、フスマと混ぜて牛馬の餌としました。ワラボッチを何本も立てる家では風よけにもなりました。

様々なワラ利用

 屋外に保存したワラは燃料、肥料、飼料、敷きワラなどに利用しました。母屋や納屋など屋内に収納していたワラはよいので、わらぞうり・俵・ムシロ・カマス・縄などに加工されました。糯(もち)米のワラは柔らかくて丈が長かったので注連飾(しめかざ)りを作りました。

『広報嵐山』179号「里やまのくらし」2006年(平成18)3月1日 より作成

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