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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第1節:ひと・生活

里山のくらし

里山のくらし8 杉山

杉山の傘踊り

 杉山といえば、傘踊りが有名でした。傘踊りは八木節の節まわしで唐傘や花笠を使った踊りです。八木節は明治から大正にかけて、群馬県太田市の木崎節を原形として堀込源太が完成した民謡です。源太ゆかりの栃木県足利市の八木宿から名前を取って八木節と命名されました。
 傘踊りは、杉山では1915年(大正4)に初演されました。1909年(明治42)、広野生まれの宮田金作さんは自分史『軌跡』(1995年刊)
で次のように回想しています。

川向いの杉山村の青年が、新しい出し物を、薬師様の縁日に奉納すると云う布令(ふれ)が廻ってきた。年寄りも若者もみんな心待ちに待っていた。……踊り子が造花のついた菅笠と唐傘をぐるぐる廻し始めると舞台が浮きあがってみえ全体が風車のようだった。初めてみた八木節踊りは子供心にこんなにも迫ってくるものがあって、今でもあの躍動感は脳裡に深く刻まれている。

 八木節がどこから杉山に入ってきたのかは不明ですが、この時、八木節を演じたのは明治30年代生まれの若者でした。内田菊次、内田金太郎、大野保一、金子長吉、小林年賀さんなどです。

傘踊り|写真

 この写真は1941〜42年(昭和16、17)頃に撮られたものです。傘踊りが初演された年に生まれ、音頭取りで鳴らした内田広吉さんと二十歳前の踊り手たちが写っています。鼻筋におしろいを塗り、市松(いちまつ)模様の唐傘と花笠を持ち、女物の着物を片抜きに着て、たすき掛けの鉢巻き姿です。その後、4名が戦没しています。
 ショイダル(四斗入りの醤油の空き樽)を叩きながら歌う音頭取り、横笛やすり鉦(かね)をにぎやかに演奏する囃子方(はやしかた)、傘を自在に扱う踊り手たち。各パートは世代交代をしながら受け継がれ、「杉山踊連」は各地の演芸会で活躍しました。

 薬師様の縁日
 獅子舞や天王様の夏祭りもない娯楽の少ない杉山なので、毎年旧暦9月11日に行われる薬師様の縁日は大きな楽しみごとでした。その日は薬師堂の横に舞台が立ち、サントミセ(露店)が並び、境内から人が落ちる程、方々から人が集まって来ました。奉納する出し物は谷(やつ)組・上(かみ)組・城ヶ谷戸組・猿ヶ谷戸組・川袋組の五つの組からなる、灯籠組の灯籠番が決めます。浪花節や玉川千鳥(八木原儀三郎)一座の「ぎいさん芝居」が上演された年もありました。
 下は1947年(昭和22)に奉納された青年団演芸会の写真です。舞台には「杉山踊連」と染め抜かれた引幕があり、細い垂れ幕には「杉山演芸□(会カ)」の字が見えます。戦後の傘踊りでは女子団員が花笠の踊り手に加わり、傘はうずまき模様となりました。縁日が近くなると毎晩、積善寺で稽古をしました。

薬師様の縁日|写真

 大正時代から受け継がれてきた杉山の傘踊りは昭和30年代には踊られなくなりました。杉山ゲートボール「みやま会」の皆さんの話から、八木節に杉山を読み込んだ歌詞があることが分かりました。一部を紹介します。

東は(ひかしゃ)粕川/西は(にしゃ)市野川/中にはさまる杉山村よ

八十ばあさん/豆かむように/ぽつりぽつりと/読み上げまするが/オーイサネ

『広報嵐山』176号「里やまのくらし」2005年(平成17)12月1日 より作成

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