第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
生活
村人の楽しみ3
幻灯機は、ランプとレンズを使ってガラスなどに描かれた画像を離れた所の幕に投影するもので、19世紀のヨーロッパで盛んになっていた。日本へは江戸時代の末期にオランダからもたらされたといわれている。
日本人による幻灯のはじめといえば、文部省の手島精一が1876年(明治9)に渡米して、「幻灯機械と天文自然現象、人身解剖、動物などの種板(たねいた)を購入して帰国、これを国産で作らせた」(小泉和子『道具が語る生活』朝日選書)ことである。種板というのは写真の原板のことで、乾板ともいう。
手島精一は幕末の1850年1月11日(嘉永2年11月28日)に、沼津藩の藩士田辺四友の次男として生まれた。やがて福沢諭吉が1866年(慶応2)に著した『西洋事情』(政治、税制、紙幣、会社、外交、軍事、科学技術、学校、博物館、蒸気機関、電信機、ガス燈などを紹介している)を繰り返し読み、海外遊学の夢を持ったという。彼はアメリカ留学から帰ると、東京開成学校(後の東京大学の前身)の監事になり、やがて文部省に移って教育博物館長補に就任した。パリで開かれた世界博覧会を見に行った彼は産業振興の必要性を痛感し、帰国後を工業教育の必要性を訴えて活躍。彼は日本における工業教育の父といわれている。
嵐山関係の史料で、幻灯が実用的なもので出現するのは、養蚕の教育用の道具としてである。埼玉県の『県報』117号によれば、1887年(明治20)玉成舎が9月に行なった品評会では、幻灯器、顕微鏡、蚕体解剖具等が並べられた。菅谷で結成された无邪志同盟(むさしどうめい)主催の会で、1895年(明治28)3月31日に鎌形の班渓寺で幻灯会が行なわれた。内容は教育、実業、日清戦争などのものであった。参加者は600名。ここで使われた幻灯器械は、熊谷伝習所精業舎長の福島儀平から10日間借りたものである。幻灯会は続いて、4月4、5日は福田小学校(比企郡滑川町)で、4月10日は菅谷村城山小学校(无邪志同盟会頭井上久五郎が校長)で開かれ、参加者は400人。夜12時散会。日清戦争の内容は「豚尾軍を半島以外に駆けり」というものだった。翌11日には宮前村の競辰小学校(大野角次郎校長)で日清戦争祝捷(しゅくしょう)運動会の後に幻灯会が行なわれた。无邪志同盟会頭井上久五郎は、幻灯会を含む无邪志同盟の活動は「教育の上進、実業の発達、及敵愾心(てきがいしん)を発揚し忠国愛国の衷情を涵養するの会として十分に効果を奏したるを感ぜり」と記している。
MAGIC LANTERNの訳語「幻灯」は大勢の村の大人、子どもをひきつけたであろうことは、大勢の参加数からもうかがわれる。
幻灯器は黒いエナメルを塗った板金の箱で、前にレンズがつき、横の口からガラス板(種板)をスライドさせて挿入するようになっていた。光源は石油ランプだった(前掲『道具が語る生活史』)。幻灯器は高いもので一般に入手できるものではなかった。1895年(明治28)5月発行の『埼玉県教育雑誌』雑報によれば、「幻灯器械80余円有志の寄付」とある。1892年(明治25)頃の広告によれば、幻灯器の第1号から3号までがそれぞれ30円、27円、25円(岩本憲児『幻灯の世紀』森話社2002年)となっているから、2、3台購入したのであろうか。村の教師の月給が10〜11円の頃である。
幻灯器と映画の広告が残っている。それには熊谷の玩具商小林彦次郎の印がある。「日露戦争」の種板もあることから、日露戦争以降の1905年(明治38)、1906年(明治39)頃のものであろう。
幻灯の画面の内容は、幾何学模様が動く美術火輪車、桃太郎、忠臣蔵、昔話に加えて陸軍観兵式、内外軍艦等の戦争関係が多く、また修身教育も多い。幻灯会は明治20年代に人々の娯楽として静かなブームになった。その内容は養蚕技術を伝える教育的な役割を担うとともに、大衆の娯楽としても多くの人を引き付けたが、日清・日露の戦争の勝利を人々に宣伝する役割も担っていた。上映会場に学校が使われていることも目される。
こうした幻灯の時代は、明治20年代から30年代がピークで、明治の末から大正の時代、つまり20世紀になると大衆の娯楽は映画に移って行った。しかし幻灯は特定の分野で今も使われている。
参考資料
少学年用 二十世紀幻燈器映画目録表
○ 器械写リ丸ノ部 (略す)
○ 教育映画之部
二少年栄枯 鳥類画 昔話桃太郎 日本諸国名所
新家庭教育 東京名所 昔話カチカチ山 日本人風俗
修身圖解 伊蘇普物語 昔話舌切雀 陸軍観兵式
女子教育 東京博覧会 修身教育 修身話し
子供教育 二之宮翁詳傳 善悪図解 社会教育
通俗衛生 軍事教育 本朝歴史 菅公一代記
塩原太助詳傳 鬼桃太郎 貴顕肖像 教育孝子傳
動物画 忠臣蔵 内外軍艦 日本美人
以上 全部各拾弐枚
中、小、長引運転画 教育、衛生、戦争、ポンチ画
美術花輪車各種 日露戦争(壱回ヨリ拾八回迄)
(以上時々新画出来仕候)
二十世紀幻燈映画製造元 三上商会
武州熊谷町本一 玩物商 小林彦次郎