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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第1節:ひと・生活

人物・家

立志傳中の人 島崎年治さん(川島)

 島崎年治さんは川島の島崎国吉さんの三番目の弟で、竹雄さんの叔父に当ります。尋常科を卒へ、高等一年をすますとすぐ社会に飛び出したということです。少年の頃は腕白で両親をしばしば手古摺(てこず)らせたといいます。はじめ高崎市の某家と縁組したが、一年半位で解消、上京して下谷の麩(ふ)製造屋に雇はれ、ここで大変愛されて、養子になれとすゝめられたが、青雲の志に燃ゆる島崎さんはこれに満足せず更に転じて千葉県内の麩屋に入り麩の製造に専念して技を磨いた。此処で一人前の腕を得た後千葉市より三里ばかり離れた曽我【蘇我か?】の麩屋の職人となつたが、遂に独立して商売をはじめた。その頃は経済的にも相当困窮していたという。たまたま徴兵検査で帰省した時相当な身支度をした來たが、これは弟の借物であつたという。その後、心に決する所があり完全に独立して営業を開始し、苦心力行を続けた。その辛抱振りは曽我の家の娘を魅了し、遂に近所の人達にもすゝめられて、結婚して千葉寒川片町に所帯を構えた。島崎さんの独立独歩、苦難に屈せぬ、精神が、今日の成功の基をなしていると思う。
 その後内務省の御用商人となり、大いに活躍し、現在は千葉市港町に堂々たる旅館を営み、貸家を十二軒も所有していると聞く。妻君は千葉市の副市長の職にあるという。島崎さんの勇猛心と、これを助ける賢妻の内助の功が、後進者に対する大きな教訓である。
(森田与資) 

『菅谷村報道』25号 1952年(昭和27)9月1日
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