第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
人物・家
市野川に沿って越畑に北上する町道端に「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」のヒゲ題目(だいもく)の七文字が刻まれた大きな石碑がある。この題目塔の裏に池上本門寺78世日暉上人が書いた「大野良如翁略伝」がある。上人は妙法山蓮花寺22世でもある。この題目塔については、大野良如翁略伝を参照。
大野良如翁は大里郡御正新田(江南町、現熊谷市)に1844年(弘化元)に生まれ、幼名は利三郎、後に太郎兵衛と称した。1865年(慶応元)、杉山村(現嵐山町杉山)の大野卯之吉の養子となる。長じて失明、法華経の教を信じ、忍町(現行田市)の妙法山蓮花寺の21世日教上人の弟子となる。日教上人は祈祷をやっていたので、祈願の人々が参籠(おこもり)等もしていた。
1924年(大正13)、自宅に日蓮上人像を納めた祖師堂を建てる。旧暦10月12日の「おそっさま」の祭典は、お店が出るほどの賑わいであったという。養子のふくさん(福三郎)・はつさん夫婦が熱心で「なんみょうさん」と呼ばれていた。大野太郎兵衛の墓石は、1926年(大正15)3月、福三郎が建てている。その墓誌には、次のようにある。
灋蓮院華臺心如居士
居士幼名利三郎後太郎兵衛ト称ス大里郡御正村新田秋山礒
五郎次男也弘化元年四月ヲ以テ生ル慶應元年二月大野夘之
吉養子トナリ家名相続ス居士壮年失明ノ結果深ク法華ノ教
ヲ信シ明治十五年三月北埼玉郡忍町蓮華寺日教上人ニ随テ
薙髪シ良如ト号ス尓来日夜修行ノ功徳弘大ニシテ崇拜ノ信
徒雲集シ声望隆 遠近ニ聞ユ大正十三年四月祖師堂ヲ建立
シ立正大師ノ尊像ヲ安置ス抑此尊像ハ日蓮宗管長身延山七
十四世日鑑上人ノ開眼祈願スル所也嗚呼大ナル哉居士ノ徳
仰ケハ蒼空ノ如ク俯セハ大海ノ如シ窮マル事ナク又尽クル
事ナシ矣 昭和六年一月吉晨 琴城関廣壽撰并書