第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
釣り・鮎漁
一人一話
かばり 吉野巌
ビクツと来る。これは小さい。食つたがにげたのである。ビクビクツと二つ来る。相当のしろ物である。然しこれもにげたのである。ビクビクビクツと三つ来る。大きい。絶対確実である。かかつたのである。あはてる必要はない。臍下丹田に力を入れて、おもむろに、スツーと、竿を上げる。ピタリ。竿が目前に垂直に立つ。獲物はすでに左の掌中にある。
『菅谷村報道』25号(一人一話) 1952年(昭和27)9月1日
竿は九尺がよい。竿を握つた右手の上、一握りの所に一本、更に一握りして一本、同じようにして、下の方に二本、鈎は合計四本。かうして竿を眞直に立てれば魚は厭でも、左手の掌中に入るのである。素人の竿はむやみに長い。ビクツと来ると慌てて竿を振り廻す。枝に引かけたり、着物にさしたりして、益々周章狼狽(しゅうしょうろうばい)する。全て無駄である。
流れを越してポンと鈎を投げる。ここでは魚はかゝらない。浮きに従つて鈎がすつとのびる。そのまゝ瀬の上をスルスルと引張つて、流れの中心と岸水との境目まで来る。ここだ、ここが釣り場所である。スルスルと引張つて来た鈎をここでじつととめる。ビクビクビクツと来る。これはたまらない手應(てごた)えである。
魚、糸、竿、手から脳の中枢へ。一瞬である。この瞬間が何ともいへない味である。この一瞬のために釣がやめられないのである。かばりは、麦の花かけの頃がシユンであるといふ。竿をかついで野良に出る。夕日が西の山に沈むと、曲つた腰をシヤンと伸ばして水面に降り立つかばりは、餌をつける心配がないから、もの臭い老人はお誂向(あつらえむき)である。
夕べの薄やみが、漸(ようや)く忍び寄る頃、ビクビクビクツと三つの手應えが頻繁(ひんぱん)になる。無我の境である。スツーと上げた竿に左手がつと伸びる。プンと来る。雑魚ではない。鮎である。「オーイ、今日は幾(いく)つだ」といえば、それは外ではない鮎のことである。
(筆者は嵐山房釣天狗会長)