第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会
消防
明治になっても消防に関する規定は示されませんでした。江戸の町火消がそのまま存続したように、各村独自に消防手段を講じていました。埼玉県では1886年(明治19)、「消防編成規則」が制定され警察署が所轄する消防組が各町村毎に誕生しました。
菅谷においては翌年一月消防組合が設置され、菅谷(49)、志賀(109)、平沢(40)、遠山(24)、千手堂(34)、鎌形(84)、大蔵・根岸・将軍沢(48)の消防夫を擁し、消防ポンプ・鳶口・玄番(大桶)・梯子等の消防器具を備えていました。1895年(明治28)の七郷村古里の消防組の器具をみると水機・大桶・小桶・鳶口・梯子等であまり変わりはありません。その内消防ポンプ・水機といっているものは当時流行の「竜吐水」ではなかったのでしょうか。1888年(明治21)越畑でも熊谷の竜吐水師新井喜三郎から十六円で購入しています。当時の消防は自営でしたから、これらの費用を消防費として徴収、或いは寄付によってまかなわれていたのです。
参考文献・資料:
竜吐水の図、竜吐水購入領収書(越畑村)、器械寄付金証、消防手任命書等