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第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第3節:災害・消防・警察

干害

雨!雨!!雨!!! 降雨がなければ飲料水に困る始末だ

今にも雨が降りそうな天候でなかなかに雨が降らない比企郡下では、そこにもここにも水騒動が勃発して、非常時辞句語が適用されてゐる。それのみではない。この頃ではこの暑さをひかへて、そそぎ洗濯の水にも困り。浴槽の水にも事をかき、所によっては飲み水にさえ差支へ困りぬいている所さへある。雨乞ひに霊験あらたかと云はれる宮前村の龍や東吉見の龍の額■が持ち出されての信心振りである。そて許りでなく、茲十日以内に植付けをしなければ稲がとれないと農民は困り抜いてゐる。そんな事にでもなれば農民は予期しない春繭の相場にホット一意気も忽ち悲観と変って農民の興味である金はなくとも米はあると云ふことに脅威を感じてゐる。誠に困ったことだ。この稿が発行される頃は記事が腐ってゐなければ話よりひどい事となるであらう。

『埼玉日報』1933年(昭和8)7月9日

熊谷上ノ区 大雷神社*1大祭

来る廿七、八の両日は熊谷市上ノ区郷社大雷神社の大祭に相当し本年も例に依って執行されるが本年は旱魃の為め参拝者多数にのぼり雑踏をよそうされるので地元青年団では無料自転車預り所を設けて参拝者の便を図る外、寄居自動車会社に於ては熊谷駅より臨時数回の運転を行ふ筈なので一層の賑ひを呈するであらうと云はれる。

*1:上之村神社(かみのむらじんじゃ)の摂社雷電神社

植付不能の水田 降雨の為め削減 郡下を通じて約百町歩

比企郡下に於ける植付け不能水田もその後二十七、三十日の両日に亘(わた)っての降雨のため大に減少し、末日現在に於いて不能水田は約百町歩にして該不能水田には蔬菜類及び蕎麦の類を播種することになった。植付け不能町村及び反別は
  松山町 五町   宮前  十町
  唐子  五町   菅谷  十五町
  七郷  十三町  八和田 七町
  竹沢  十町   大河  二町
  平   二町   明覚  二町
  玉川  四町   亀井  三町
  高坂  三町   野本  五町  以上

『埼玉日報』1933年(昭和8)8月6日

政府米払下げ 比企郡下申込数 一万五千俵戸数八千戸

比企郡下に於て干害による政府米払下げ申込数は二十日を以って〆切ったが総数一万四千六百十八俵で申出戸数七千九百四十三戸に達し内訳左の通りである。
  松山   九一七俵   四八〇戸
  福田   三七〇    二二二
  宮前   六六一    三四六
  唐子   八六一    四五五
  菅谷   九四九    五〇八
  七郷   七八四    四二四
  八和田  七〇五    四二二
  小川   八〇九    四五二
  大河  一三三三    七三一
  竹沢   三八五    二三一
  平    一九五    一一四
  明覚   三六四    二〇九
  玉川   六三六    三六一
  亀井   一六〇     九一
  今宿   五三三    二九五
  高坂   三〇〇    一九一
  野本   八六八    四五五
  出丸   六四〇    三二一
  東吉見  六三五    三二三
  南吉見  六七四    三五二
  西吉見  九三四    五〇二
  北吉見  九〇五    四五九
以上で、大岡、中山、伊草、三保谷、八ツ保の五ヶ村には払下げ希望者なし。

『埼玉日報』1933年(昭和8)8月27日

比企郡免租田 第一回申請総反別 七百七十七町歩余

近年にない干害を蒙り植付け不能の水田郡下を通じて百町歩を越え、本月に入りて植付けを了せし水田も約五百町歩に達するので川越税務署では十九日地租免除申請に対し郡農会と協議査定の結果、本月に入りて植付けを了せると不能水田に対し免除することに決し、他は今秋収穫期に実地検証の上に於て適当の方法を講ずることにしたが各町村別に示せば、
松山十一町五反、大岡四町八反、福田八町、宮前五三町、唐子一八町、菅谷五〇町、七郷三〇町、八和田四〇町、小川四町、竹沢二二町九反、大河六反、明覚一〇町、玉川一五町、亀井三〇町、今宿一〇町、高坂一〇町、野本五〇町、中山三町、出丸三反、小見野二〇〇町、東吉見三町五反、南吉見一六〇町、西吉見四三町
以上で総計七百七十七町六反で小見野の二百町、南吉見の百六十町を筆頭とし北吉見、伊草、三保谷、八保、平の五ヶ村は最初の免租はない訳だ。

『埼玉日報』1933年(昭和8)8月27日
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