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第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第3節:災害・消防・警察

風水害

水害史

一 本村【唐子村】水害ノ沿革
本村ハ都幾川流域村ノ中央ヲ西ヨリ東ニ流レ南北ニ両断シ年毎初夏ヨリ秋分ニ至ル間 川水漲溢(ちょういつ)シ両岸ノ耕地水害ヲ蒙(こうむ)ラザリシハ殆ト希(まれ)ニシテ年二三回ハ必ス水害ニ罹(かか)ルヲ常トス然レトモ大洪水ノ悲惨ヲ蒙ルコトハ近古万延元年申年(1860)ノ洪水大字葛袋字寺前破堤全部落人家床上浸水全部ニ亙レリ近クハ明治十九年(1886)大字神戸字明戸堤破壊耕田凡ソ拾町歩立毛損害ヲ蒙リ最近ニ至リ明治四十年(1907)ノ水害ハ多大ノ立毛ヲ損失セリ殊(こと)ニ四十三年(1910)八月十日以来古今未曽有ノ大洪水ニテ全村殆ント七分水冠トナリ其惨害状況下表ニ示スカ如ク是カ為メ損害ヲ蒙リタル一切ノ概算額金六万円ニシテ是レ本村住民五百六十餘戸ノ蒙リタル損害ナリ
【加筆】大正二年(1913)八月二十七日午前二時大洪水四十三年度ヨリ高キコト二尺石橋葛袋堤防総越水葛袋字河北ハ床上浸水三尺ニ及ベルモノアリシ

【唐子村水害区域畧図は省略】

『唐子村郷土誌』
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