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第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第2節:福祉・社会活動

新生活運動

生活改善座談會
    婚禮をいかに簡素化するか

古來冠婚葬祭の儀式を尊重しこれを厳粛盛大ならしめることはわが國伝統の美風ではある。
 從つて我々は今直ちに之を破壊し去ることを好む者ではない。然しこれらのものも時代の進展に伴ひ当然改変せらるべきものであり且現行の慣習の中にはすでにその生命を失つて形式化し又はその風習が我々の家庭経済の負担に余るが如きもの等あるに鑑み我々報道委員會は茲に主として現在の婚礼に就いて検討を加へて見たいと考へた。仍つて特に結婚適齢期の方、適齢期の子女をお持ちの方、最近婚礼を行はれた方、生活改善に関係の深い婦人會、社會教育委員會の方々にお集りを願ひ三月九日午後一時より役場會議室に於て婚礼の簡素化について話し合つていただいた。
 出席者(発言順) 岩附松子、高崎達藏、杉田政一、関根操、水野ふさ子、簾藤栄子、西沢近一、金子重雄、小林まさ
 報道委員會側 小林博治(司會者)、関根茂章、関根昭二

因襲を打破せよ

司會者 さうすると婚礼の支度が五万、式の支度が二万、その他が三千で全部で七万三千円かゝるわけですね。さうすると二十五年度の村全体の所得額五千八百二十万円でそれを申告したのが六百二十人で平均八万四千円(一年間の所得が)これによつてみると一年間の所得に対する婚礼の費用が多額であるといふ感じを持つわけです。勿論婚礼の人は普段から用意してあるでせうが兎に角多数の費用です。問題はどういふわけでさういふ支度をしなければならないかといふことでこの点について話し合つていただきたい。いろいろ理由はあるでせうが……一生に一度のことであるから多少無理をしてもとか或は親であるから借金をしてもとか或は先方へ行つてあまり苦しまないやうに支度をしてやりたいとか……若い人の立場から岩附さんに聞いてみるかな。
岩附 財政が許せば別問題ですが、そんなに費用を使つてもらはなくてもよいと思ふ。そんなに費用があるなら結婚後の費用にしてもらいたい。費用も今おつしやつた半分ぐらゐでいいんぢやないかと思ひますね。
村長 それでいいかね。僕も男と女の適齢期のがゐるのだが我々は考へ方がちと違ふのだ。今の話では大体十万かかる。それでは一生たつてもやれない。親としては一生一度のことであるし人生の第一歩を踏み出すのであるからできるだけのことをしてやりたいとは思つてゐる。それができないのが現狀である。本人はいいと云つても世間はそれを許さない。だから本人の自覚では駄目だ。一番の根本問題は金を持つてゐる人がぢやんぢやんやるから持つてゐない人もやらなければならないやうになる。結婚の簡素化は金のある人が範を示すことである。
司會者 村長さんから簡素化の話がでたがもう少し若い人の話を聞きたい。
杉田 私としては豪勢な祝をしたい氣持はありますが祝をしてから生活に困窮するのではさうしてもらいたくない。
司會者 なるべく立派にやりたいといふ氣持の根拠は何ですか。
杉田 昔からの風習で家の人も肩身がせまいやうな感じを受けるわけですね。
岩附 〝一生に一度のお祝〟確かにその通りです。然し一生に一度だから派手にしなければならない筈はないと思ひます。華やかな式を挙げれば華やかな人生が続くわけではないでせう。結婚はお金でもなく形式でもなく精神と内容であり自分のためなのですから……。

親の頭の切替が先決

関根 岩附さんの御意見に賛成です。因襲の根づよさからいろいろの難関があるでせうが。お若い方が時代を認識して生活の改善に協力して戴きたい。若い人は我慢しても親が承知しないのですが年寄達も若い方の努力によつて頭の切替ができるのではないでせうか。
村長 私も嫁の世話をしたんですが……向うもはだかで結構ですからといふのだが親達はしきりに世間並のものを作つてゐる。それでも親達ははだかで行くのだと云つてゐるんです。本人が幾ら理解しても親達が承知しないんだから困る。
水野 持つて行つたものを飾るだけならよろしいんですが中のものまで出して次の日は一日近所の人に見せてゐるんですからね。
関根 私の時もさうです。支度の少い原因でなんだかんだ始まるのは年よりで、年よりの頭を切り替へなければならないですね。
簾藤 家は本人本意でやりたいと思ひます。娘も支度は何もいらないと云つてゐますので……とつてもそんな支度はできません。
村長 それが東洋人の欠点でさういふことを云つてゐながらきつとやるんですから。
水野 村としての生活改善の規約ができてをれば了解できるわけです。私どもの時は支那事変でちやんときまつてゐましてその通りやつたんですが。
西沢 私の娘はかういふ結婚はしたくなかつたと後で申しました。約束するときは着のみきのまゝでよろしいからといふことでしたが先は職人で箱を支度して持つてきた。家は何も入れてやるものがないだ、空氣か水を入れてやることしかできないんだがと申したんですが、それでも祝儀、不祝儀に着る着物がなくては仕方がないのでどうにか幾つか入れてやりました。千手堂の字としては近所の人が集つて箪笥の中を開けてみるのださうですがこれにはよわりました。もらう家で我慢していただけばかゝりをかけなくてすむと思ふ。然しもらふ方では財産が殖えるのだからこれを規則できめるのはむづかしいのではないでせうか。
司會者 結婚の当事者は氣にしなくても親が古い因襲にとらわれて分不相應な支度をすることになる。これを改善して行くには組織の力が必要である。

結婚式を公営に

金子 それに対して一つの希望がある。見栄の面で、もらう方の人にしてもくれる方の人にしてもその点女の方がなり易いと思ふ。結婚式も個々別の家でやるのでは制限できないから神社とか公会堂を利用して式場にあてれば一定されると思ふ。その場合婦人会の人達が組合組織を使つて式一切は組合にまかせる。道具の場合も組合なら組合にまかせたら簡素化するのではないか。
司會者 比企の連合社会教育委員会で建てた案がありますが道具に点数をつけて百点以内で用意するやうになつてゐる。箪笥二十五点、夜具フトン二十点、下駄箱三点、ベビーダンス三十点、ミシン十点などで方法としては面白いと思ふ。
西沢 新しい規則をきめてもらつてもそれを破るのは誰かといふことである。
村長 それは時代の推移で、できる人できる時代はいいと思ふ。昔は普通のお嫁さんで箪笥を一つ持つてくれば上々である。最近は牛車一台が普通になつた。それだけ一般の力があるのだらう。かういふことがいつまで続くか。経済狀態が行きづまればできなくなつてしまふ。力のあるうちは自覚以外にはないと思ふ。生活の改善は異口同音に云つてゐる。
小林 さういふことは誰でも云つてゐますね、婦人会ができたのにまだやらないんですかと聞きにきます。
村長 村によつてまちまちだから形式的に終つてしまふことが多いのではないかと思ふ。これに反対する人といふのは恐らくないだらう。
金子 式場を一定することはいいと思ふが。
司會者 それは飛躍しすぎる。周囲の環境が町と違つてゐるから。
小林 式場より嫁さんの持つて行くかゝりが大変です。

支度には普段着を多く

村長 支度の中で役にたつ品物はどういふものですか。
水野 皆役に立つことは立ちますが……私なども一番地味なものをめつけて着てゐるんですが……皆派手で……十年も二十年も先のことを考へて地味なのもこしらへてやらなくては。
司會者 嫁さんに行けば主人に作つてもらふことは殆どない。
水野 無賃(たゞ)奉公で十年も二十年も……。
村長 戦争中モンペを十枚も十五枚も持つて行つた話もある。
水野 実際問題としては普段着を沢山持つて行かなければならないのですが、見栄もあつていいものを持つて行かなくてはならないんです。
村長 女の人も悪いんですよ。買ふより着ろといふのにいい物をしまつてをくから。
水野 あんまりいいものを一時に用意しないで普段着の方を沢山作つた方がいいですね。
金子 お嫁さんをやる時に貯金なんかをするのはいいことだと思ふが……。
村長 それは結構だが貯金といふのはさう簡単にはできない。月に五十円や百円貯金したところで問題にならない。それよりか、子供が生まれたら桐でも何でも植えた方がいい。僕は非常に感謝してゐることがある。家の父が植えた桐が二本ある。孫が嫁に行くときタンスにするんだと云つて植えてくれたのである。
司會者 嫁に行つても嫁入り先ですぐ支度をしてもらふわけには行かない。普段使つてゐたものがあるのだからそれを持つて行けばいいので十年も先のことまで用意する必要はないわけだ。

嫁はしいたげられている

村長 根本問題としてお嫁さんをもらふ心構へが根本的に間違つてゐる。家は手間がないから嫁さんをもらふなど牛や馬の代りだと思つてゐる。これは間違ひだと思ふ。嫁さんは働かさせればいいと思つてゐる。それで嫁さんが次の代になると、私の嫁時代はかうだつたからと云つて働かせる。朝から晩まで黙々働けばいい嫁さんだといふ。
水野 年よりの方の教育をやり直していたゞきたい。
村長 もの日に家へ帰る時には喜んで家へ帰つて行く。毎日しいたげられた生活がのんびりできるからだと思ふ。
西沢 それはたしかですね。
司會者 精神的に窮屈なんですね。
杉田 私は前に豪勢にやつてもらいたいと言つたんですが、昔からの風習を打破して最小限度にやりたいと心の底には思つてゐるんです。村としても生活改善の道を一日も早く開いてもらいたい。婦人会が組織されたのですが女子青年團あたりにも呼びかけてやつてもらふといいのではないかと思ふ。
関根 年よりの頭を切替へていたゞけばいいんです。
村長 個人によつて違ふので年よりと一概に云ふことはできない。お互いがさういふことにならないやうにするんです。自分の過去を押つけようとしてはいけない。
西沢 根本的におやぢ教育をしてもらいたい。
水野 支度しなくてもいいから行きますもらひますといふ風にならないんでせうか。
関根 婦人会が中心になつて生活改善の問題と眞劍にぶつかつて行つたらだんだんよくなつて行くのではないかと思います。他の町村でもかうした問題がおきてゐることゝ思いますから、互ひに手をつなぎ協力すればうまく実行されることゝ思ひます。
司會者 ではこのへんで…。

『菅谷村報道』12号 1951年(昭和26)4月10日
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