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第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第2節:福祉・社会活動

青年団

1955年(昭和30)4月の七郷村と菅谷村の合併による新菅谷村誕生後も旧村の青年団は地区青年団として七郷青年団、菅谷青年団の活動を続けたが、1962年4月合併して菅谷村青年団が誕生した。

新しい青年団の出発

 近年の農村を離れる青年男女増激のあおりをうけて、農村青年団活動は沈退の一途を辿つている。義務的に加入を進められる団体でないだけにどこでも人員確保に苦しんでいる。だが夢のない魅力のない団体になつて来ている原因を良くつかんで今後の活動内容に生かしたら発展の途は十分あると思う。
 菅谷村においても昨年暮行き詰まつた七郷青年団から新しい魅力を持たせる一つの策として菅谷青年団との合併が申込まれた。菅谷青年団でも再三会議で協議の結果、それを受け入れ四月一日を期して合併の運びとなつた。目下その準備中であるが、団員数も約百二十人と隆盛をきわめた当時に比較すると少いがまずまずの構成人員となる。そこで折角の骨折り続きにもう一踏張り機構改革までしてもらいたかつたのが残念なことである。
 「村の青年団と聞くと何か古めかしい奉仕団体の様で入つてみる気がしない」と言うのが資格はありながら入つていない青年一般の意見だが確かにそんな感じである。その意見を打ち消すかの様に、近頃幹部連は〝新しい青年団〟とか盛んに叫んでいるが、名目では人はついてこない。
 今度の合併を見ても、どこにその新しさがあるか、人を集める魅力があるか疑問に思う。地域が変り、役員構成が変りしたのでは青年団においては決して新しくなつたのではない。たゞ大きくなつたのにすぎないのだと思う。真の新しさとは、そうした言葉にまどわされない事業内容にありそれをやり易くするところの組織にあるのではなかろうか。
 過去に於ても兎角役員の青年団とか一部の人の為の活動であるとか言われて来たが、それが一般団員を離別させる原因の一つであつたかと思う。今度の役員数を見ても大分増えている為、地域の拡大と併せてその傾向は強まるかと思う。個人々々の自主的活動を旨とする青年団活動ではむしろ役員は統制役としての存在に止め活動の位置を支部、個人に下げべきだと考える。
 兎に角四月一日より新しい青年団として出発するわけであるから気分一新して新菅谷青年団の発展を願う。
(小林峯久) 

『菅谷村報道』131号 1962年(昭和37)3月25日
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