第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会
青年団
第八号文集に寄せて
支部長という役についてから四ヶ月支部員の協力により今年度もスムースに歩(すべ)り出しました。伝統ある鎌形青年団を尚一っそう充実したものにするには、私達の生活の中に生きたものでなくてはなりません。身近な中から学ぶもの、それを集めて行く事が青年団活動には大切だと思います。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
皆で楽しみ、皆で話し合い学ぶ事に、一人一人が団員であるという自覚を持って行く事だと思います。
この大切な時の支部長として一年間皆さんと一緒に頑張るつもりですが、各部長さん、支部員の皆さん、協力をお願いします。
支部長 内田哲郎
皆さんへ
麦は一面新緑化し、青葉、若葉がすくすくと伸て参りました。団員の皆様も希望、胸いっぱいにし、今年度の青年団活動に入った事と思います。団活動を行って行く上には色々と困難な問題があります。例えば団員が減少して行く事、経済的な問題、時間(日間)の問題などであります。各自それぞれ仕事を持ち、又、立場により仕事もちがっておりますので、活動の上にも困難であります。これからの活動は各自の仕事に故障をきたさない様な活動にしむけて行く事だと思います。これから農繁期に入り、とかく集会なども夜を利用し、精神的にも肉体的にもつかれており、そのため時間的にもルーズになりがちでありますが、若さと希望に燃えてる皆様方でありますから、しっかりと心をすえて、一歩一歩と進んで行くと思います。青年団活動を行って行く上に最も必要な事は、良く話し合い、研究し、協力しあって行く事であります。又、青年団は自己をみがき、そして一つの「いこい」の場とし、常に、修養につとめ、個人の育成を計り、共同精神を練成する唯一の団体でもあります。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
各自が自分の行動について常に反省し、多くの技術を収得し、今後の青年団活動の発展の為、そして新しい村作りの為につくしていただきたいと思います。私も青年団活動の中から得た多くの経験を実生活に取り入れ、多くの希望を胸にひめ、楽しい家庭を……、そして新しい村作りにつくしたいと思っております。
Y生 昭和三十五年五月 記
注 昭和三十四年度退団者寄稿
創作
私
学校を出た時はやわらかい手で、
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
くわを持っても、まんのうを持っても
まめが出来たのに、
いつのまにかタコが出来た。
節々が太くなり、
母の手に似て来た。
御飯もたける様になった。
つくろいもする様になった。
そして、いつのまにか
母と話が合うようになった。
だけど私は、
湖に沈められた真珠の様に、
とり上げれば白である様に、
いつまでも、
自分を失いたくない。
世間体と青年団
全国的にも出稼青年の多い現在、青年団活動も組織運営などいろいろの面で従来どうりの方針では活動しにくく、活動が低下していると思います。本当に青年団が必要であるだろうか?……とこんな事を考えた事もあるが(こんな事を言っては無責任かもしれないが)必要である事は、自分自身、身を持って体験した。農村にいくらテレビやラジオが普及して来たとはいえ、まだまだ私達はこれらのものから吸収できないもの、つまり団体生活を行って行く中に、お互の人格を向上させて行く事を体験し、実行して行く事だ。この中から社会を見る目をやしない、互に親善をはかる事によって、私達は少しでも、将来への確実な土台を築いて行くのだ。だからして農村青年の修養の場としては身近な青年団が一番ふさわしいと思う。だがこう考えて来ると私達とは切っても切りはなせないはずの青年団ではありながら、入団者も減少し、活動が低下して行くのだかろうか?……
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
行事が多く、毎年の行事をくり返しているために興味がなかったり、又時間的に私達はおわれていると思う。日曜も休まずに働きにでなければならない現在の家庭生活、……。団活動も行事を日曜へふりむけてはいるが、このたまの行事にも参加出来ない環境に立つ人達もいる。こんな現状で利用できる時といえば夜だけであるので、夜の活動が多くなるが、女子など家人の理解がなければ出席できない事が多い。又「では理解してくれるが、「周囲の人の口がうるさいから青年団はぬけろ」と母親に言われ、退団した人もいる。これは一部にすぎないが女子活動の不活発な原因の一片であると思う。だが私達は、家の人、近所の人達に理解してもらえるように努力する事もたりないのかもしれない。農村に根強く残っている封建性や世間体というものに、私達自身まきこまれているように思う。よく、「年寄の云う事はみんな古いから」と頭からきめつけてしまいがちであるが、祖父や父母達を批判するより、私達が考えなおさなければいけないのだ。農村の封建性がやぶられない原因の一つに、農村の若人の婚期が早い事が上げられる。つまり自分の考えがまとまらない若いうちに結婚するか事から、姑や祖父の言うなりになってしまうと、こんな意見も耳にしました。又ある本で、今の若い人達は自分の意見を通そうとするが、自分達から進んで親に孝行する事はしないと書いてあった。私などもこの言葉には考えさせられる事が多い。だからして周囲の人達に青年団というものを理解してもらう事も大切であり、共に奉仕作業も必要になってくるのではないか(団員の減少により不可能な事もあるが)。行事も全団員の参加できる行事を多くとり入れる事も良いが、今の環境ではちょっと疑問である。このためグループ活動が生まれているのだろうが、このような中で活動と共に仲間作りと云うか、皆がしっかり、団結していかなければならないと思う。
又、いろいろの行事の行なわれた後など、一定の時間の余裕を見ておき、ざっくばらんのおしゃべりでなく、テーマをきめてあまりかたくならない程度の雑談会など、皆の心のほぐれるようなチャンスが必要だと思います。(何年か前、大野支部長さんの時だと思う。将軍沢との雑談会が正月四日、料理講習の後で行なわれた事や、前団長内田章さんの時、婦人会との話し合いが行われているが、これらは良い例だと思います。ただおしい事は話し合いできまったのに実行されていない事です。)とかく青年団と云うと、お祭り青年団だとか、一杯青年団だとか言われますが、青年団外の人達とも良く話し合い、お互の立場を知り合ったら、もっと私達も楽しく、こだわりがなく青年団活動に参加出来るのではないでしょうか。
私など青年団の味をしめたと云っては変かも知れませんが、青年団が本当に真じめな集団である事を信じます。そして、お世辞でなしに青年団という所が、私は大好きです。
農家の仕事
私達の農家の仕事は、毎日、毎日と四季を通じていろいろの仕事が、次から次へと沢山の仕事が廻って来る。この様な仕事を毎日、毎日くりかえしながら、農繁期には朝早くから夜迄働いても、百姓の収入は年間通して何回もなく、作物が豊作の時には物が安い。作物が不作の時は収入が少い。この様に物が上ったり下ったり大変の動きがある。農家では会社で働く月給取りの様にはなかなか行かない。私達農家では毎日の天候を相手として働くので安心して仕事も出来ない仕末で、若い者も少ない収入では、十分の小遣いから身の廻りまでは、収入の少ない年には親からもらえないので、家の仕事を手伝うのがばかばかしくなって考えてしまう。このごろの若い人々は学校を卒業すると家で百姓をするのがいやで皆出てしまう。この様な農家の仕事、また生活を長男、長女までが皆同じ考えで町工場、また都会へと出て行ってしまう。私達皆でこの様な仕事を明るく、楽しく暮らせる様に、農家の仕事でも、工場で働く人の様に一ヶ月に何日かの休日を作ろう。私達若い者ばかりでなく、皆が楽しく働けるのではないでしょうか。この様にしたら天気が良くても悪くても、一日、一日に計画を立てて、休日には皆、体を休ませたり遊びにも行ける。心掛けたら百姓の仕事でも工場で働く人の様に、一日、一日が楽しく暮らせるのではないでしょうか。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
菅谷青年団
詩
心
それがかなわぬ想いであったなら
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
やぶれても悲しむ事もなき
男性(ヒト)を愛する力 我になし
ヒトを愛する前に
暗い過去の自分をあわれむなり
戦う力我になく 退くにのみ心は進むなり
遠くより望む山は
雄々しく がぎりなく美しきなり
心に生きる雄姿も又美しく消えざるもなし
心に自信なき事
現在の私の姿なり
ヒトを愛する力 我には無し
詩
働く者
無限に続く大空の下
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
今日一日も無事であれと祈りつつ
農民も、会社、工場で働く者も
みなそれらを願いつつ
炎天下、玉の汗の流れる土工も
除草にせい出す農民も
計算機に向う低サラリーマンも
スパナ、ハンマを振る工員も
それらの者はすべて働く者であり
そして思想、理想へのへだだりはあれど
互に何かの共通点がある
今日は終れど、明日へと……?
青葉
百姓
冬も過ぎて春になると、百姓は忙しくなってきます。冬は東京や地方の工事に出ている人も、□□□になると、おかぼをまいたり、蚕も出たりしてくると気候も暖かくなってくる。つぎからつぎえと仕事におわれて、だるい体をがまんして、一生懸命に働く人々の姿を見ると容易ではなさそうですが、自分でいざやって見ると、ほかの人がやっているのを見たより割合楽です。これから暑い暑中を麦刈りをしたり、田植をするとなると、どうも旨がつまって去年のことが浮かんできます。今年は一生懸命働くぞと自分に誓って、日一日を楽しく暮らすのです。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
詩
働く喜び
照りつける太陽の下
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
汗とどろにまみれながら
くたくたになるまで働く
だがその疲れきった中にも
若さがみなぎっている
働くのだ
良き社会を作るために
これからの農業
最近私はある人に会い、こんな事を耳にしました。「百姓はだめだなあ、まったく何もかも安く、ただとって食っているだけだ。勤めの方がよっぽどいいからなあ」、と言ってたのです。この人もずい分長い間農業をしていたのだそうですが、今では息子はA会社にサラリーマンとして勤めていて、父母だけの農業をやっているのだそうです。そしてその人の言う事に「家じゃあ百姓なんかもうどうでもいいんだ。どうせ米も麦も安いからなあ、それに養蚕だってもう先が見えたようなものだ」と私に話したのです。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
この話を聞いたとき、私は、この人のような考え方で良いものだろうか。又我々若い農村青年がこのような事をどう解決すべきかと言う難しい問題に直面しているのです。そこで私はいろいろと考へて見ました。このおじさんのようになにもかもはじめからだめだだめだと言わないで、どうしたら安い麦を高く売るようにしたら良いか、という方法でも対策でも講ずれば決して、安い麦でも高く売れるのではないかと思うのです。例えば安い麦をそのまま販売しないでそれをにわとりや、乳牛に与へてこれを卵や牛乳にかへて見れば決して安い麦も安くはないのではないでしょうか。又養蚕にしてみても千円養蚕をどうしたら良いか。それにはあまり手間をかけず、又桑園には畦巾等を広くしてそこへ家畜の飼料でもまけば決して千円養蚕が出来ない事はないと思います。
このように農業だって考へよう、やりようによっては、まだまだいくらでも将来の望みはあるものをと思います。だからこのおじさんのように何でもだめだだめだと言わずに、何でも考へることによって、立派な農業経営が出来るものと思う。考へる農民になって、これからも一生懸命に農業に従事してゆくつもりです。
我一人たたづむ畑の麦を見て
まぶたに浮かぶ未来の希望 SY生
男から見た農村婦人
男と全く同一でありながら、社会的、職業上から全く小さな体としか見られない。ことに農村の婦人は話にならないのです。その原因は結局知識の低い事と生活のまずしさからです。その低い事は朝早くから夜遅くまで食事の仕度やら、のら仕事に、洗たくにといろいろ、男性以上の重労働がかさみます。日の出ないうちから日の暮れるまで労働の明け暮れに制約されております。そう働かなければ間に合わず又生活もしていけなくなるという苦しい立場となってしまいます。またこんな例もあります。子供の世話をしながら家族全員の洗たく等一人でやるのでそうです。こんな時こそ、洗たく機があれば仕事の合い間、昼休みにでも簡単に出来るのです。このように農村が機械化されたことや合理化されたのはほんの一部の農家しかないのです。農家はキカイを入れて生産費を下げようとは知っていても、先だつのは金であるからなかなか出来ない。生活の貧しさがあるのです。もしこれが機械化され、合理化されたならば、農村婦人もきっと新聞や雑誌、ラジオ等などが楽しく読んだり聞いたり出来るのです。そうすることによってもっともっと、農村婦人も知識もついて、立派な農村婦人としても、はずかしくないサラリーマン以上になると思っています。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
俳句
水ばんの上に春待つ日ざしかな
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
桑つみの歌声高く人見えず
短歌
経営に頭をなやます我が父を
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
俺は笑ってさぼるばかり
我一人たたずむ畑のキュウリ見て
まぶたに浮ぶ未来の希望
何ごとも支出にこまかい父なれば
養鶏経営の夢はるかなり
鍬を手に働くことの楽しさは
今日一日につきることなし
秩父の山々はすでに日はくれて
家の中には灯はともり
体育部
体育としては、今年度は大いにレクリエーションを中心にやって行きたいと思います。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
産業部
産業部として、例年どおり農村の青年が多いので品評会に重点をおいてやって行きたいと思います。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
文化部
文化部の今年度の計画としましては、文集発行、意見発表等いろいろありますが、今年は特に文集に力を入れたいと思います。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
家政部
料理講習を出来るだけ多くやりたいと思います。先生にお願いするばかりでなく、部会や本団で習ったものを実習したいと思います。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
編集後記
支部員の皆様、農繁期中は大変に御苦労様でした。お互いに大変だったでしょうね。さて、皆様が待ちにまった文集八号が無事、発行出来ました事は喜びにたえません。不安に思っていた原稿も〆切の日を少々遅れましたが、少数の者の外は全員期日近くまでに提出してくれましたので、ここに文化部一同編集に入りました。誤字の訂正やらガリバン切りに印刷、企画など沢山の仕事もありましたが、皆様の御協力により、難なく、これも無事になしとげる事が出来ました事を深く心から感謝致します。この文集が皆様の御期待にそうかどうか解りませんが、改めて皆様の文集への御協力と御支援を今後とも宜しくお願いします。そしてこれからも文化部一同、より居一層の努力をして、皆様にいつも愛され、親しまれる文集を作って行きたいと思います。
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
又、今回は昨年度退団者大野祥次君より特別寄稿もありました。
昭和35年7月10日印刷
菅谷青年団鎌形支部文化部『心の集い』第8号 1960年(昭和35)7月10日
昭和35年7月10日発行
菅谷青年団鎌形支部
内田哲郎
編集 文化部