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第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第2節:福祉・社会活動

青年団

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号(2/2)

郷土たより 栗原正敏編輯

青年学校男女青年団
     成績優良なりとの講評を受く

 福田、七郷両青年学校並に両村青年団七郷女子青年団の査閲は十一月二十七日午前七時より本村小学校に於て実施せられた。午前七時より一時間学課査閲、午前八時より正午まで教練査閲、数時間にわたりての査閲中二百の両村青年学校生徒は実に緊張そのものの如く真剣に又元気溌剌と日頃の猛訓練の結果を充分に発揮し教練査閲官より実に気概あり、非常に成績良好なりとのありがたい講評を受けることが出来た。
 特に学課査閲の如きは七郷の方がよろしいとまでの講評を学課査閲官より頂いたほどである。日頃訓練を受けざる男女青年団の閲団及び分列の如きも又実に堂々たるものあり。銃後の七郷盤石の如く将来の七郷益々発展性あるかの如き感を参観の人々に與へることが出来たのである。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

乳幼児体力検査

 昨年四月一日より本年五月三十一日まで出生の乳幼児の体力検査は七月二十五日、二十六日の両日、【七郷】小学校に於て実施せられた。名簿登録者数九十七名中欠席は僅か三名にて、九十四人受検査の中、男四十八名、女四十六名にして疾病殆んどなく、栄養も大変良好であった。
 戦線の父チャンよ御安心下さい。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

出動将兵遺家族慰安の夕
     東日ニュース映画会開催さる

 本村青年団新聞部主催の出動将兵遺家族の慰安の映画会は十月二十一日午後六時より小学校校庭に開催された。
 御招待せる遺家族の方々定刻までに全部出席され又一般の入場者も以外に多く非常なる盛会であった。
 東京日々新聞のニュースに軍事劇に又は漫画に見物人一同夜の更けるを知らざる程であった。
 出征軍人遺家族の方々に喜んで見物して頂けたこと我等としても感謝の気分を少しでも表し得たこと嬉しく思ふ次第である。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

武道練習会

 体育部主催夏季武道練習会は八月三日より一週間、毎夜八時より十時まで二時間づつ小学校講堂に於て挙行された。
 団長阿部寶作氏は毎夜定刻前に出席、熱心に指導し又激励したので、団員一同一人の欠席もなく、最後まで猛烈なる練習振であった。古里千野久男四段、小学校の鷲峯二段は交替にて指導の任に当たってくれた。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

郡競技会

 郡連合青年団体育競技会は十月一日松山町箭弓グランドに於て挙行されたが、本団にては左の諸君を選手として送り、好成績を得ることが出来た。
 尚飯島貞介君は重量運搬の郡代表選手となり県大会に出場の栄誉を得た。
  剣道 小林政市 内田哲郎
  角力 船戸武彦
  銃剣術 飯島繁 市川林三
  手榴弾投 小林森久 松本正作
  重量運搬 飯島貞介 船戸武彦 飯島繁 杉田善作
  障害物競走 田畑米三 内田角五郎 小林森久 田島正三 松本正作

   比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

坐禅を組んで心を磨く
          修養一夜講習会

 本団修養部主催五ヶ村護法仏教会後援の青年修養講習会は九月九日午前九時より十日午前十時まで広野広正寺に於て開催された。
 各支部とも殆んど不参加者なく、団長初め百余名一昼夜にわたり熱心に受講、得るところ多大であった。講習会の日程は次の様なものであった。
 第一日、午前九時開会式。午前十時より正午まで郡連合青年団長高橋伴吉先生の我が処世観と題する講演。正午より午後一時まで昼食、休憩。一時より四時まで布教師朝比奈顕宗氏の時局と宗教と題する講演。四時より四時半まで田畑【田畑周一農会技術員】の農業資材配給に関する話。四時半より五時まで修証義*1。五時より五時半作務*2。六時より七時まで夕食。七時より九時まで松山中学校吉田桂嚴先生の欧州戦争についてと題する講演。九時より十時まで夜の行事(坐禅礼拝、修証義)。十時就寝。
 第二日、午前四時振鈴起床。五時坐禅。五時半より七時まで朝比奈師の佛教講演。七時作務。七時半体操、朝食。八時半より九時まで仏教会長の話。九時茶話会。感想、意見発表(各支部一名づつ)。十時散会。
 尚昼間は本村女子青年団員も受講。菅谷村青年団員も数名、熱心に受講された。

*1:曹洞宗の開祖道元禅師の著作『正法眼蔵』の教えを在家者に向けにまとめた経典。5章31節3704文字からなり、1890年にまとめられた。修は修行、証は悟りのことで、この義(ことわり)をまとめたもの。
*2:作務(さむ)…労務。作業。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

耐熱行軍

 この位の暑さがなんだ。猛暑と闘ひつつ聖戦の陣頭に立つ勇士を思ひ、この若人意気は耐熱行軍となってあらはれた。
 七月二十八日、八十数名の青年団員は田幡副団長、栗原幹事、小林保育部長引率のもとに、午前六時小学校出発。小川を経て平、慈光寺まで強行軍を行った。
 帰途、平(たいら)日吉神社に詣で出動将兵諸氏の武運長久を祈願し、明覚、玉川、菅谷を通り、午後一時、一人の落伍者もなく無事帰校した。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

愛婦国婦役員一行
    所沢陸軍病院に白衣の勇士を見舞ふ

 愛国、国防婦人会役員二十数名は十月三十日午前六時二十分武蔵嵐山駅にて所沢陸軍病院を訪れ、白衣の勇士を心より慰め、夕刻帰村した。質朴なる農村婦人の心からなる慰問に、白衣の勇士故郷の母に又姉に会へるが如き感を深くしたことでことであらう。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

男女青年団秋季大運動会

 男女青年団合同秋季大運動会は天気にめぐまれたる十月十日午前七時より小学校庭に於て執行せられた。
 競技種目は剣道、角力、銃剣術、手榴弾投、重量運搬、障害物競走の六種目にして、出場選手一同実力を充分に発揮し其の技を競ったが、結局吉田支部堂々三十六点を獲得、優勝した。
 惜しくも僅か一点の差を以って優勝をしたる広野支部の健闘又賞すべきものがある。
 当日の成績左【下】の如し。
 一位 吉田支部
 二位 広野支部
 三位 古里支部
 四位 杉山支部
 五位 太郎丸支部
 六位 越畑支部
 七位 勝田支部
 尚女子青年団は古里支部断然他を押へ優勝した。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

青年記念式

青年に賜りたる御令旨奉読式は十一月二十三日午前六時を期し、本村小学校庭に於いて挙行され、村長、校長より我等青年を奮ひ起たせるが如き力強い訓辞があった。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

雑報欄

二月六日
 午前一時より小学校に県知事臨席の下に座談会開催さる。更生委員各種団体長農事養蚕組合長出席

二月十一日
 男女青年団総会 建国祭挙行

四月十二日
 警防団結成式

四月二十四日より一週間
 清潔法実施

五月一日
 更生記念日により午前、全村民協議会。午後、出動将兵遺家族慰安会

五月五日
 青年団体位検査

七月二十一日
 警防団の御令旨並に団旗奉戴式

七月二十三日、二十五日
 乳幼児体力検査

八月四日
 午前三時を期し青年団非常召集。越畑八宮神社にて出征兵士武運長久祈願

十月三日より一週間
 銃後強化週間

十月五日
 愛婦【愛国婦人会】、国婦【国防婦人会】役員戦病死者墓参を行ふ

十月八日より一週間
 清潔法実施

十月十日
 愛国婦人会国防婦人会七郷婦人会総会

十月二十日
 愛国婦人会会員募集。会員三百人となる

十一月七日
 午後六時より九時まで県農務課長を中心として更生農家座談会

十一月二十四日より一週間
 納税強調週間。滞納者殆んどなし

十一月二十四日より一週間
 方面委員会にてほまれの家の調査をなす

十一月二十七日
 農家にて改良和牛共同購入

十二月一日
 警防団令旨奉読式と防火デー運動

十二月十一日
 青年団体力検定実施

十二月十四日
 警防団点検査閲

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

各種団体の陣容

警防団
 顧問 村長
 団長 小久保英一郎
 副団長 市川半衛
 本部班長 富田健吾
 本部付 安藤文雄、高木義広
 第一分団長 荻山忠治
 第二分団長 小林恒治
 第三分団長 船戸常作
 第四分団長 田中昇
 第五分団長 宮田俊茂
 第六分団長 内田幾喜
 第七分団長 大澤賢司

軍人分会
 会長 田中徳重
 副会長 田中栄一
  〃  土橋政市

愛国婦人会
 会長 栗原千代
 副会長 初雁のぶ
  〃  安藤ブン

国防婦人会
 会長 栗原千代
 副会長 市川悦子
  〃  藤野タツ

女子青年団
 団長 久保英雄
 副団長 田畑ハル

青年団
 団長 阿部寶作
 副団長 大塚禎助
 幹事 中村武一
    栗原正敏
 部長並に支部長
  安藤文雄 内田忠司 小林政市
  井上清 千野信吉 小久保冨蔵
  青木仙三 大澤卯之吉 内田哲郎

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

編輯後記

 もっともっと立派な団報をと思ひながら出来上って見ればこれ位のものになってしまひます。素人の編輯でさぞ見苦しいとは思はれますが多少なり郷土の様子が知れたと勇士の皆様に嬉(よろこ)んでいただければなによりと思ひます。
 いろいろの関係で発行のおくれました点と、せっかく原稿を寄せて戴いても紙面の関係でのせることの出来なかった事は深くおわび致します。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

奥付

昭和十四年十二月二十三日納本
昭和十四年十二月二十六日発行
    編輯発行者  井上清
    発行所 埼玉県比企郡
     七郷村青年団文芸部

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月
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