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第6巻【近世・近代・現代編】- 第5章:社会

第1節:社会基盤・通信・交通

武蔵嵐山駅前から駅通りを望む(1970年)

武蔵嵐山駅前通り|写真1

武蔵嵐山駅前通り|写真2

 武蔵嵐山駅出口(現・西口)前より駅通りを撮影したものである。一番手前の右側の店は花井商店(菓子店)。その手前の電柱には松山映画劇場の看板が見え、下側のポスターの題名は「女賭博場荒し」と読める(主演:江波杏子。昭和42年9月公開)。その反対側の須沢商店もやはり菓子類などを売り、自転車預りもしていた。熊谷市のボウリング場パークレーンの前売り券発売所の看板が掛かっている。右隣が山岸たばこ店であった。
 道路は簡易舗装のため傷みやすく、窪みや亀裂が出来易かった。歩道は無く、柳の街路樹が未だ見られる。(権田文男)

武蔵嵐山駅前通り|写真3

 駅方向に向って来る5名程の女生徒は、昭和42年(1967)4月に開校した文園嵐山女子高校(昭和47年4月大妻女子大学嵐山女子高校となる)の生徒である。道路いっぱいに広がっている。まだ、自動車の危険もそれ程感じない時代であったのだと思う。電車の到着が迫っているのか、駈け足の様である。(権田文男)

武蔵嵐山駅前通り、国道254号*1方面を望む(1970年)

武蔵嵐山駅前通り|写真4

 駅前から駅通りを50m程進んで撮影したものである。道路右側に食堂東雲亭が写っている。自転車が沢山見えるのは自転車預り所を行っていたためか。道路左側手前が市ノ川松之助氏宅で自転車預り業を営んでいた。平成20年(2008)12月家屋その他すべて解体撤去され新地(さらち)となっている。(権田文男)

国道254号*1から駅前通り、武蔵嵐山駅方面を望む(1970年)

武蔵嵐山駅前通り|写真5

 道路右側角が食堂嵐山亭、その奥が理容吉原。反対側の左側の一番手前は新井収氏宅。その隣りが電器店ムサシ電化(昭和42年開店。現・山口デンキ)。その奥に釣り具きくや、辻沢肉店などが見える。(権田文男)

武蔵嵐山駅前から駅通りを望む(1973・1974年)

武蔵嵐山駅前通り|写真6

 武蔵嵐山駅から駅通りを写した写真である。道路は再舗装され、柳の街路樹は取り除かれ、せまい歩道が設置されている。人通りは現在と比較して格段に多く、賑わっている。新装開店の食堂凸坊二階には、未だ「喫茶モール」は開店していない。松山映画劇場の看板は未だ有る。撮影年は昭和48年(1973)か49年(1974)である。
凸坊新装開店:昭和47年(1972)12月30日
    閉店:平成10年(1998)12月31日
 モール開店:昭和50年(1975)8月
(権田文男)

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