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第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校

第4節:社会教育

日本農士学校

知行合一、学業一如の教育

 県下に農民の修養道場が二つある。一は農民講道館、一は比企郡菅谷の莊「日本農士学校」である。両者を比較すると、前者が著しく農家経済の鍛練に重点を置いてゐるのに対し、後者は精神鍛練に重点を置き、農本主義を高調し、農村青年に、日本農村の中堅人物として相応はしい教養を與へることを第一義としてゐる。即ちいふ−−『知行合一、農業一如でこそ健全なる人生である。然るに現代教育の通弊として、知と行、学と業、この両者が乖離して人生に醇厚(じゅんこう)なる統一がない。業に即せざる学の付加は、人間を徒らに浮侫(ふねい)ならしめ、また、裡に真箇(しんこ)の学を有せざる業は、人を頑躁【?】に堕せしめて、共に道を離れることが遠い。現時農村人の不安無気力もまたこゝに因るところが多い』と。

 そこで農士学校では、人生の両輪たる知と行、学と業とを、晴耕雨読の間において帰一せしめ、農道を開拓しようといふのである。

 農場経営に主力を注ぐ講道館は、農民生活は晴耕雨読ではいけないといひ、農場経営を目して農本生活の一細胞とする農士学校は、晴耕雨読の裡に、知行学業兼備の農道人材を養成せんとしてゐる。そこに両者の相違がある。

 貨幣経済に重きをおく講道館が、農家生産費を「如何にしてより高く売るか」を研究し、農家の商業化を考へてゐる時、農士学校は農道人材の養成は、五年十年では成らぬ、短くも三十年後に目標を置いてゐる。この点がまた大きな差違である。

 農士学校は校長を検校といふ。腐敗堕落せる現世相を正視するに堪えず、盲目となって世道人心を導かんとの寓意なるや。盲目縞の野良着を校服とし、午前は講堂に学び、午後は田畑に出て耕作に従事する。野良から引揚げた校生は、絣の着物に袴をつけ、木綿紋付の羽織といふ書生姿になる。職員と四十余名の校生が混然一家をなしてゐる。

 検校菅原兵治氏は語る。『われわれの道場は農村の本肥を作るところである。世の多くの農村問題研究家は、デンマークの研究はしても、東洋の研究を怠ってゐる。農村問題の著書は読んでも、実際は見てをらぬ。いはゆる篤農家の誇大経営を、われわれは排撃する。農村対策といふものは、処方箋で投薬するやうには、いかないものだ。農村問題が世間の関心をひいて、自力更生といひ、産業組合運動といひ、実状において、ある部分ですでに行き過ぎてゐる。ジャーナリズムが、農村をチヤホヤすることなく、この辺で「行き過ぎたもの」に対して、鋏を入れて剪つてやることが、真実に農村を考へてやる誠実ではあるまいか』

北條清一『武州このごろ記』67頁〜69頁 日本公論社, 1935年
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