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第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校

第3節:中学校・高等学校

玉ノ岡中学校

杉山城跡の東側に =分離統合中学校予定地決まる=

【地図省略】

 昭和五十九年度開校予定の分離統合中学校の予定地が決まりました。場所は大字杉山、杉山城跡の東側の小高い、日当たりのよい丘陵地です。報道委員会では、校地決定の経緯などについて、阿部教育長に聞いてみました。

通学区域は七郷小志賀小通学区

――校地が杉山に決定したそうですが、どのような経緯で決まったのですか――
教育長 学校の用地を決めることは、たいへん重要なことであります。また、通学区域の皆さんのご理解をいただくことも大切であります。
 町では、校地選定委員会をつくり、あらゆる角度から御検討をお願いして決めています。
 このたびの校地についても、選定委員会では、(1)地理的条件、(2)人口比重の点、(3)教育環境の三つの基準をたてて、数カ所の候補地を選び現地を調査し、基準に近いものを絞って決めたわけです。
――分離統合中学校の通学区域はどうなるのですか――
教育長 本町の中学校は二校でありますが、現況は、あまりにも両校の規模がアンバランスであります。
 そこで適正な規模の中学校にするために教育委員会は、通学区域審議会に諮問をし、答申を受けて区域を七郷小学校と志賀小学校の通学区を含めた区域としました。
 これによると、二つの中学校の規模は、ほぼ同じになります。
――そうすると、地理的には、南過ぎるような気もしますが――
教育長 嵐山町の地形、そのものが細長い地形でありまして、このたびの校地についても、通学区域全体から考えますと、やや南によっていますが、このことも前に申しました選定条件を十分検討した結果でありますので、御理解をいただきたいと思います。

『嵐山町報道』311号 1982年(昭和57)12月5日
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