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第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校

第3節:中学校・高等学校

菅谷中学校

『菅谷村報道』第5号は「中學校舎落成記念特集號」と題され、菅谷中学校の新校舎落成に関する大特集が組まれた。

山王臺(台)上絢爛の偉容成る!! 中學新校舎遂に完成!!

落成祝賀式挙行!!

 総費用三百二十四万、九ケ月間の日子を費して、比企郡下唯一最新、縣下でも有数の菅谷中学校舎は遂に完成し山王台上に絢爛の偉容を加へたのである。神さびた菅谷神社の緑の森に映ゆる赤きいらかクリーム色の壁、コバルトの柱淡黄色のガラス窓、チヨコレートや空色で塗装された校舎は、土用眞夏日のさんさんたる光の中に目もまばゆき程に照り輝いていた。この日七月二十一日落成祝賀式は擧行されたのである。地方事務所長、教育委員会比企出張所長、隣接各町村長議長、小中学校長等多数の来賓と八百名の村民、中学生徒出席のもと午前十一時根岸助役の開式のことばに祝賀式典の幕は切つて落された。大野建築委員長の経過報告があり、「村の教育の為國家に有為なる人材をつくる為更に増築しなければならぬ。子供を立派に育てるにはどうしても特別教室を作らねばならぬ。村でもある程度の予算はとつてあるが村民各位の御協力をいたゞけるかどうかによつて決定する。これには一般村民の寄附をもらはないで作らうとする構想を持つている。新校舎の建築には村民各位の非常な努力と協力をいたゞいたのであるが今後も更に特別教室ができる様協力していたゞきたい。」と結ぶ。続いて小林収入役より別項記載の如き会計報告あり、村長の式辞、感謝狀の贈呈、来賓の祝辞が次々に行はれ吉田中学校長の謝辞に式は終了した。
 村長式辞(要旨) 立派な校舎ができたことは村民各位の御支援と御協力があつたことに大きな原因があり、その点厚く厚く御礼申上げます。校舎は明るいモダンなもので木造建築としてはこの附近は勿論縣下でも稀であらうと思はれる。尚まだ第二期工事が是非必要なので、今までの様な村民各位の御熱意がございましたなら、必ずや完成するだらうと確信致します。これができましたなら比企に於ける文化のセンター(中心)になるのではないかと思はれる。最後に先生、生徒諸君にお願いしたいのであるが、立派な校舎ができまして明るい教室で勉強するのでありますから心氣一転、一生懸命勉強して立派な中学生になつていたゞきたい。又先生は立派な生徒をつくる様努力していたゞきたい。
 祝辞 戸根木比企地方事務所長
 私たちは平和な文化國家の建設に努力致しております。私たちの生活を住みよい生き甲斐のあるものにするには文化を高めねばならぬ。然し、一朝一夕に文化は高くならない。時代を荷負ふ青年諸君を成長させて社会にでて貢献できる様にせねばならぬ。それと共に青年諸君の自覚が必要である。明るい校舎で勉強することは云ふに云はれない影響があるものである。卒業する諸君はさだめし立派な生徒として社会に出ることと信じます。あの様に立派な校舎ができ上りましたのは村民の教育に対する援助と理解によるものであると思ふ。村がますます発展して立派な住みよい社会になることを信じてお祝ひの言葉に代へます。
 教育委員会比企出張所長
 本日は村をあげてのよろこびの中に菅谷文化の殿堂としての中学校舎落成式に当りまして縣から参る予定でありましたが私が、代りましてお祝いを申上げます。凡そ教育を尊重する郷土は栄え、軽視する郷土は衰へると云はれている。困難な諸條件の中にこの様な立派な堅牢優美、科学的な世紀の送り物を作り得ましたことは建築関係各位の熱意もさりながら村民の皆様の深い御理解と御協力の結果でありまして、誠に尊敬、これを言葉に表はすことができません。立派な環境の中にのみ立派な人物は出るのであり、教育の効果もそこに期待されるのである。
輝く歴史の上に立つて縣下に名をなしてゐる菅谷中学の皆さんは比企文化の中心としての校舎と運動場に相應しい生徒になつていたゞきたい。
  新井比企郡町村長会長
 お招きをいたゞき光栄とよろこびに堪へない。
この立派な校舎で勉強できる諸君は喜ばしい。秩父連峰を望む環境はまことにうらやましい。
比企の中心である菅谷が何ごとにつけても率先範を示していたゞきたい。村民の御幸福をお祈りし御挨拶に代へる。
  隣接村長代表 宮前村 大塚村長
 実に立派な一点非難の打ちどころのない校舎を拝見してその中で勉強する先生、生徒の皆様をしみじみうらやましく思います。私たち隣接町村もこれをまねして菅谷に続きたいつもりであります。
  議長代表 七郷村 内田議長
 この様な立派な校舎ができ名実共に教育の体制ができましたことは、羨望の的であります。
文化國家の建設の基は教育であります。本村が近代科学の粋を集めた校舎で勉強できるに至つたことをお喜び致します。
  中学校長代表 宮前村 服部校長
 本日はおめでとうございます。教育には計画がなければならぬ。本村は綿密な計画を樹て縣下稀にみる立派な校舎を建てることができたのはよろこばしい。本村は歴史的にみて文化の中枢であり、本村の良き風習はやがて村風樹立の立派なものとなり校舎の完成に至つたのだと思います。生徒の皆様はこのよろこびを明日から身体的、精神的、社会的に表はしていたゞきたい。
  吉田菅谷中学校長謝辞
 縣下にその比をみない立派な校舎の完成をみ、本日茲にその祝賀式をあげ得ましたことは誠に村民各位の教育への熱意と理解の賜物でありまして皆様に厚くお礼申上げると共に、私たち職を奉ずるものは愈々心を新たにして地域社会に貢献したいと思つてをります。中学校の仕事を立派にするためには本校舎の他に特別教室が必要であり、特に図書館、保険設備は絶対に必要である。私たちは設備がないから教育をおろそかにするのではない。与へられた設備を最高度に活用して皆様の御子弟に万遺漏なきことを期する。時恰も一衣帯水の朝鮮には硝煙がみなぎつている時に私たちの村は文化のシンボルである校舎の建築の祝ひをすることは、誠に感慨無量であります。皆様の御子弟はこの教室で立派に勉強致します。
 在校の諸君はこの村の立派な送り物に対しておろそかがあつてはいけない。よき社会の人となつていたゞきたい。最後に村民各位に深甚なる謝意を表する。
 かくして一時間にして式を終り、引き続き落成式祝賀の宴が張られた。会場は抽せんにより各字別に新校舎の教室を使用、来賓の会場は平屋校舎二教室が当てられ、質素ではあるが盛んなる歓びの祝賀会は繰り拡げられたのであつた。

『菅谷村報道』5号 1950年(昭和25)8月20日
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