第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
菅谷中学校
中学校舎落成記念座談會
中学校の校舎落成式を機としてこの特筆すべき業績を記録に留めて後世に傳へまた本村に於ける教育の進展に資するために報導委員会では七月二十四日建築関係者、村民、教育者、村当局など各方面の人々にお集りを願ひ木の香のま新しい新校舎で座談会を開いた。
『菅谷村報道』5号 1950年(昭和25)8月20日
出席者(五十音順)
大野幸次郎、加藤武作、高崎達藏、簾藤惣次郎、高橋亥一、中島照三、中島年治、山岸宗朋、吉野賢治、吉野松藏、米山永助
欠席者 田幡順一、吉田熊吉
主催者側 小林博治、関根茂章、関根昭二
司会者 本日はお暑い所を又お忙がしい所を御苦労さまです。中学校の校舎も愈々竣工致しましたが、これは村の大きな出來事で村政史と云ひますか村の教育史に於て没却することのできない大きな意義を持つていると思ひます。前の小学校ができた時の記録を尋ねてみると案外残つていない。そこで今回の事業を後世に残したい考へを持つ人が沢山をりましたので我々と致しましても今日此処にお集り下さつた皆様方に今度の中学校建築に関してのいろいろな話題を一つ提供していたゞいてこれを書き留め後の世まで残したいと希望してをります。村民は皆校舎の落成を喜んでをりますがこれは工事がすらすらと進んで簡単にできたからでなく非常な苦心の結果できたからでこれは事業が遅延したといふ事実が物語つていると思います。これには建築委員のなみなみならぬ苦心が伺はれるのでありますが、この人々の苦心談を中心に話していたゞきたい。ざつくばらんに談笑のうちにこの会を進行させていたゞきたい。最初に江部組に請負を決定した事情に就いて村長さんから一つ…
村長 江部組が工事をやる様になつたいきさつについてお話し致しますが不足の点はこゝに居られる常任委員の方に補足していたゞきます。学校を建築するといふことが正式に決定しましたのでこれに関する予算的処置と入札者の決定といふ二点が問題になり、まづ入札者の選定ということが常任委員会によつて協議された当時すでに入札の告示をしないのに十九社の申込がありましたが、これに対して常任委員会で情報と調査をしとりあえず七つの請負人を仮りに選定した。そしてこの七社の請負人に就いて最近新制中学を建築した経歴を基準にして乗員委員会が四班に分れて実際の建築の状況、関係方面(役場など)、施行事情、資力等入札に必要と思はれる事項を調査した。大里、比企、入間、群馬などの各地を調査しその結果を検討したが大体に於てこれならばよろしいだろうとの結論に達した。そうしてこれを常任委員会の案として建築委員会にかけたが常任委員会の調査を満場一致承認した。そこで指名入札者が決定し入札を行つた。入札の際村としての予定價格を幾らにみるかゞ問題であつた。この基準がでなければ落札の時支障があるのでいろいろの面から考究したのであるが、これを前以て決定するわけにゆかない。他に洩れた場合困る。そこで基準價格の決定は入札当日に決めることにした。これは当日別室で協議したのであり従つてこの價格が他に洩れたことはないと思ふ。入札は全建築委員会立会の下にこれを行つた。契約條件はあらかじめ入札者に配つてあつた。落札者の決定は従來最低の者に落札するのが常例であつた。小川中学の場合は最高と最低では丁度半分になつてをり大きな開きがあつた。安いのはいいが悪かつたり工事が途中で中止されたりしては村民が困る。ところで村の予定價格の七割以上であつてその最低の入札者に落札することにした。例へば三百万の場合には二百十万以上で最低の者といふことになる。開票してみると江部組が二百六十万五千九百八十一円といふとつぴょうしもない札を入れた。次は三百万で約四十万の開きがあつた。
司会者 落札者の決定事情はよく分つたが安すぎた点について何か反省を…。
吉野(松) 常任委員が当時として反省すべき点もあるだろうし、江部組に落したことについては話題も残つてゐるのだらうから。
米山 請負についても当時批判があつた。
高橋 風説は聞かない。請渡しについては疑問はないだろう。
米山 江部組が仕様書を十分検討せずに落札したから……。
吉野(松) あまり安すぎたということについては江部そのものが無鉄砲なやり方をしたのではないかと思われたのではないか。仕様書をよく検討したかどうか疑問である。
吉野(賢) 設計書を二日しかみていなかつた。江部には仕事を取りさへすればいいという頭があつて宣傳的な意味で損をしてもまあ比企へ進出できるやうになればいいという考へであつたらしい。
加藤 一般は親値より高くはないかと思われたのに開票の結果は四十万も安い價格で落札したということに不安と氣がかりがあつた。
村長 それはたしかにさうです。開札の時には江部組の札は最後に開いたのだつたが、これは予想外の安値であつた。第一回の落札で決定しようとは誰も思つていなかつた。意外に安いので果してこれでできるだろうかとその時私も心配したのであります。
そこで私もその日の席上で江部組によく申入れたのである。先方は犠牲は覚悟の上でやつたのだと云つてゐた。
司会者 これらの不安があたつて工事が延びた。出発の時すでに工事遅延の原因があつたということになるが…。山岸さんなんかどう。
山岸 私個人としてその当時米山君に申上げたことは安いことを希望する。高いのはよくない。仕様書を完全に履行する人をやらしてくれ、親札に一番近い人にやらせるべきだ。と私はその当時云つた。この附近で学校を作つた請負者は皆失敗している。予算は幾ら出してもいゝから予算に一番近い者にやらせろということを私は云つた。結果からみて安い者にさせることは無理をすればその人を破産させてしまう。厳重な監督を受けてもそれに堪へられる人という腹構へを作ることが必要ではなかつたか。日本でも有数の設計家に作らせたのだからこの人が原價計算できるのだしこの金額に近い者に請負はせるのが普通だと思うのである。要は学校を作る時の心構へが必要ではなかつたかと思うのである。
高橋 委員としては村民の負担を軽くすることが念願だつたので金融状態が途中で変つてきた為に請負業者が工事を遷延させるに至つた。
大野 仕事が延びたのは監督が厳重だつたこともある。あの値では無理であることを委員はすべて考へてをつた。江部の方でも安いから多少なりともいいかげんなことで通してもらへるのではないかと思つていたらしい。本人も云つている。このくらいでいいのではないかと思つて役場の会議室の材料をどんどん持つてきたが検査ではねられたのでこれではいかんと氣がつくに至つた。高橋氏は人柄はいゝが実力はない。江部氏が途中で江部組をぬけてしまつたので財政的にも苦しくなつてきたと思う。
中島(照) 江部組は設計を変更して金をあげて行こうとした。「どうして村長はこゝを変更しないんですか」とよく聞きに行つた。
加藤 三等材を使うべき所へ二等材を使つたりなどして江部組も材料では大部御奉公している。
吉野(松) 江部自体としては全力をあげてやつたと思う。(各氏同感の声あり)
米山 私は常任委員会の場所であんまり安い價格で落すことはどうか、三割という開きは大きすぎるのではないか、親値がはつきりしてゐないのにかうしたことを強く主張することもできないのだが兎に角私は黒板へ数字を書いてそれを説明したのでしたがその時二割五分にしたらという意見を出す人が一人ありましたが後の方で安いなら結構ぢやないかという声もあつたので、親値が決まつていれば強い主張もできたのだが決まつていなかつたのでいかんともしがたかつた。
大野 あまり安いことはいかんということがすべての委員の一致した意見であつた。
司会者 江部組がつまづきが見えたのはいつ頃からか。
大野 それは上棟後である。お正月にかこつけて材料は入らず職人はこなくなる。これでは金もやたらにやることはできないと考へる様になつた。
高橋 中頃から金融面も影響してきた。
村長 一月のカレンダーを出した時に皆氣がついた。江部組の名が文教施設に変っていたのである。
大野 名義変更ぐらいに思つた材料が予定通り入つてこない。お正月の休みが長すぎるというのでこれはあやしいぞということになつた。これは江部という人物が会社からぬけたことと金融面の圧迫があつたことが原因している。
村長 こちらでいよいよ考へなければならないということになつたのが三月の初めである。
司会者 工事は進めたいが金はなかなかやれないという立場に於ていかに請負者を鞭撻し操縦したかという苦心談を
村長 兎に角上棟は年内にやることに主力をつくしてそれもまあいろいろ努力したのですが。十二月三十日に漸く棟木をそれも夕暮れに五本あげた。寒い時おそくなつて式をあげた。完成期間は二月三日なので無理とは思つたがどうしても今年卒業する人を入れたいという村民の声もあるし生徒もこれを希望した。一時は学校のあちこちに張り紙が貼られたこともあつた。ところが工事が進むにつれて金の面で四苦八苦の状態となり支払もとゞこおり、これがだんだん重つてきた。内部の仕事になると目の見えない所に相当金がかゝる。クランプの使用もまがいものを使はうとしたがたまたま設計者によつてこれが発見されたという様なこともあつた。とに角金が非常にいそがしくなつた。仕上げにかゝると金を持つて行かなければ材料が買へず、工事は材料が入らない為に大工は手をあげるやうになつた。この状態が続き我々としても進行がおくれるから何とか委員会として対策を考へねばいけないと思つたのが三月上旬である。金を先渡しすれば品物を持つてくるかどうかわからない。それかと云つて金を渡さなければ品物が入らない。いよいよ困つてしまつた。それに工事計画は一向に実行されないし委員会をごまかしてばかりゐた。そこで委員会として支払いの面との計画をたてゝこいと命じた。この計画表を常任委員会で社長と現場監督を前にして検討した。この表によると五月十九日までに完全に出來上ることになつてゐたが金の方は上旬までに支払はれるやうになつてゐた。そこで委員会ではこれを工事の進捗状況と一致させた。然し実際になると予定通りに行かない。私は何回となく督促した。金を渡してもらへばこれだけの工事をするという計画表であつたが我々としてはこれまで何回となくだまされたので安心できなかつた。そこで我々は左官屋、ガラス屋、ペンキ屋などから必ず出來る、やりますという手形をもらつて來てくれと頼んだ、承知しましたと返事はしたが何日たつても持つてこない。これでは工事が進まないのは当然である。そこで委員会としては直接ガラス屋、ペンキ屋と交渉しよう、請負者の了解を得てこちらでやろうと決めた。工事を仕上げるまでは委員も相当頭をなやましてしまつた。その他こまかいところはいろいろあるんですが、他の委員からお話願いたい。
大野 江部組も最初ていさいを作つていたが終ひには金がないんだ役場からもらわなければできないんだと云うやうになつた。然し工事は最後までやりたいんだと云つていた。
司会者 三十万円の報償金については村内にも疑問があるやうだが最初にやるときめたのは報償としてやる意味だつたかどうか。
大野 これは各委員によつて多少の意見の相違があつたらと思う。請負金額が安いのは分つているが欠損してまでもやるわけには行かないが金をやることによつて工事も進捗するだろう。今工事をやめられてしまつて後村で引受けると云つて相当な努力と金が必要である。それよりか金をやつて工事を一日も早く仕上げる様にした方が村としていいのではないか…と考へられた。
吉野(松) 大体に於てさう考へてゐたのではないか。
加藤 請負者が金がないと云つてきたので報償金の話がでた。金を出して一日も早く竣工させた方がいいと考へた。
山岸 報償金の美名のもとに値マシをしたのではないか。その点最初の値をはつきりさせればよかつた。
大野 大体の意見が契約金は増すことができないが報償金は幾らでもやることができる。三十万やつて工事を進めさせるか或は五十万を出して我々がやるかという…。
吉野(賢) 二十万ぐらいではという意見も出たのであるが、補助金をそつくりやつて早く工事を仕上げさした方がいいということが建築委員の一致した意見だった。
山岸 大野さんの心境を一つお聞きしたい。出來上つた蔭の努力について。
大野 一日も早く仕上げることに全力を盡くした。請負師に対しては金の面で相当強固にたたかつた。別にとりたてゝいふ程の努力はない。
高橋 委員長と村長とは相当金の面で苦心したらしい。
吉野(松) はたから見てもよくその点は分つている。情を入れたらこゝまでできなかつたのではないか…。
大野 金を何とかしてくれということが現場監督からもいろいろ來たが金の面ではガンとしてきかなかつた。
司会者 難関を突破するには信念が必要だつたと思うが今日の成果をみた原因である根本信念の様なものについて。
村長 それは別に固い信念とか…当然のことをやつただけで…この工事を途中でしりきれとんぼにする様なことがあれば我々だけの責任ではすまされない。村民一般に及ぼすものがある。かわいさうだという人情面に引かれて、特に失敗するのは金の面なのだからこれを引き緊めて最悪の場合には我々がやらなければならないという腹を常に持つていた。何としても仕上げなければならん責任を感じて地位を去るぐらいでは解決できない。我々の責任は学校を作りあげることである。又予算を増してやるということは村民に申訳ない。請負者に対しては随分憎まれ口もきいている。先方では人情も知らない薄情なやつだと思つてゐるかも知れない。仕事の面でも仕様書の通り仕上げるのは当然で例へばドアを二分のベニヤで作つてきたがこれを全部三分のベニヤと取り変へさせた。我々としては設計書によつて仕事をやつてもらいたい。できるだけ請負者の便宜もはかるが…それ以外は。
大野 最悪の時には村でやる、而も予算の範囲内でやるということは初中終り云つてをつた。請負がやらなければこちらでどうしてもやるという考へは常に持つていた。金の支払ひの点では人間として涙の出る様なこともあつたがあくまで厳重にし、工事の進捗状況と照らし合はせてやつた。江部も愈々困つてくると個別訪問をして個人攻撃をしてくる。村長さんの所へ行つて委員長がいいと云へば金を出すと云われたからなんとかしてもらいたいと家へ來る。然し私がガンとして聞かない。村長さんも私が承知しないということを知つてゐるから私の家へさう云つて寄越したんだろうと思う。時には可哀さうだなあと思うこともあるが金のことに関しては誠意をもつてやつたつもりである。
司会者 中島さんなにかどうです。
中島(年) さうどうも云われてしまふと聞くこともなくなつてしまう。
加藤 各地の学校を視察したことは無駄ではなかつたと思う。
吉野(賢) 視察を何回もやつたことが非常に効果があつた。どこの学校へ行つても坪幾らで渡したかを皆聞きだした。その結果大体どこの学校でも坪一万三千ぐらいかかつてゐる、物價は下る方向にあるが設計がいいから坪一万一千ぐらいだろうと思つてゐたところ入札の結果江部が九千円で入れた。建築委員もこれで仕上がるかと皆心配した。
米山 三十万円やることにしなければ工事をなげられたかも知れない。
吉野(賢) 全く三十万出さなかつたら村で直営しなければならなかつたろう。
中島(照) 生きた金だつた。
高橋 三十万円は非常に為になつた。
米山 途中で計画表をたつたことが非常によかつた。
中島(照) 時には一人の大工に五人の監督がいた時もあつた。
吉野(松) 一人や二人の職人の時の監督ではこれぢやいつできるかと心配した。
高橋 高橋という男がいいことに金の催促に來る時空手できてくれたことである。手ブラで來て要求するんだから収賄的なことをしなかつた。
吉野(松) 高橋は監督にきても自分で吸う煙草を持つていなかつた。
司会者 役場へ來ても吸殻を拾つてゐた。
中島 私は二回ほど旅費を出してやりました。
吉野(松) 江部もトコトンまでやつたんだな。
大野 人間は悪い人ではないと思う。
中島(照) 材木の切れつ端を十日ほど自転車で家へ運んで行つた。
米山 何とか仕上げなければならんとは考えていたらしい。現場主任は菅谷村として非常に利益があつた。建具屋は現場主任にウソを云はれて建具を運んできた。
村長 落成式の日取りを決めてから十八日までに持つてくるという宿直室の建具がもし持つてこなかつたらと思ふと…私はあの時おがんだですね。
米山 建具屋の分として一万幾らだかやり前があると思つたが実際持つてくる品物は四万いくらかあつたのでこの数字をはつきり云つてしまうと建具屋の方でも持つてこないので唯やり前があるとだけ云つて建具を運んでもらつた。現場主任がよく仲介の労をとつたところにその功績を認めるべきである。大工に帰りの電車賃をかりてまえ工事を完成させようとした彼の良心はかつてやるべきだと思う。
司会者 最後に立派な学校ができましたのでこの学校に相応しい教育を如何にすべきかについてお話願いたい。今日は生憎この学校の先生がをりませんので簾藤先生から。
簾藤 さうですね、中学校経営の一部を担当してゐる立場から一般的に述べてみたいと思います。以前の教育は生徒の立場からすれば学問で苦しめられ運動で苦しめられた。練成や修練で個性を制限されることがいいとされていた。これは日本人の人生観であり、社会観であつた。然しこれからの教育は生徒一人一人が学問を楽しみ、生活を楽しみ、人生を楽しむやうにしむけて行かねばならぬ。かうするためにはこれにふさわしい社会環境、教育環境が必要である。学校の施設として校舎は勿論必要であるが、生活を楽しむためにはそれに必要な最小限の施設を備へなければならない。今日一巡してみまして各教室に学級文庫などある様ですが、私の立場からすれば図書の充実は校舎の次に最も多くの費用をかけていただくのがいいのであろうと思はれる。生徒が毎日放課後図書館で自由に本を読んでゐる姿を見ると過去の自分たちの練成の時代に比して非常に真摯な姿がみられる。図書館の充実は何が何でもしてもらいたいと思う。その他雑多な施設はありますが経済界の変転で強ひて申上げることもできないが…。学校で請求する教育費は予算の何割しか獲得できない。それでPTAその他の傍系団体に三拝九拝して金をもらつている。教育費は正常なルートでもらわれねばならない。三拝九拝して金をもらつてゐる様では文化の向上とか人間の理想とする信念の教育はできないのではないか。国会に提出される標準教育費法には皆様の御協力を願いたい。指定寄附によつて教育の為には村民全部が費用を負担することを自覚してもらつて正常の道をとつて教育費を支弁してもらふ様にしたい。
大野 具体的な問題を考えてみたい。この席上に先生がいないことは残念だが…。菅谷の学校は今まで物置に居たりして非常に悪い環境にあつた。然しよい成績をとつている。入学率(高等学校えの)もいい。小川え入学した生徒の平均点は菅谷が一番、松山でも一番であつた。かうしたいい環境ができたので勉強も張合ひがでる。運動も環境がよくなつてゐるから今後更に充実する様努力してもらいたい。先生にも骨折つていたゞいて更に名声をあげてもらいたい。松高で英語の試験をしたら小川中学が断然他を引き離してゐた。これは先生の力の入れ方が学校そのものゝ力の入れ方であろうと思われる。今年菅谷の成績がよかつたのは先生の努力をかつてやりたい。村民も協力して学校のため教育のため努力してもらいたい。PTAに三拝九拝することではいけない。村民はできるだけ環境をよくする様努力するのは当然だと思う。まだまだ特別教室もつくらなければならないことは村当局としても考えているし…。
中島(照) こゝに先生がいなくてはなんですが…村民からの意見として「二、三年は全部新校舎え入れてくれるわけだつたんださうですが家の子は入れてもらへないで職員室に使われてしまつた」というんですが。
高橋 環境の問題だが……。落成式の時に村長さんから話しもあつたが「モダン」ば明るい教室で歴史的な傳統もあるし運動場も広い、かういうことが生徒に優越感を持たせるに至るのだと思う。最近マンガ教育というのがあるが簾藤先生マンガはどういう効果を持つているんでせうか。
簾藤 出版屋は営利会社ですから……然し長い目でみるとマンガの期間は長く続かない。徹底的に駆逐しろという人もいるし、読書生活の一過程として許されるという人もいるので一概に云へませんが私は後者の立場を認めたい。
吉野(松) 本を読む習慣づけるための一つの過程ではないか。
加藤 マンガをみると正規な本が見られなくなる。
簾藤 戦争の末期的現象としてよくまとまったものを読む氣がしなくなるのではないか。世相のあらはれがマンガにもあらわれるのではないか、そこに読書指導図書館の設催などが必要になつてくるのだと思う。受験準備は絶対にいかんという規則があるのでこれを如何にして切り抜けるかに大きな問題がある。小川中学は学級編成の際受験組とさうでないものとを純然と分けてしまつた。運動部は解消するということまでして…。
村長 図書の充実はまことに結構ですが校長に私はかういうことをお願いしてゐる。学校で必要とする経費は恐らく各村ともひらきがある。学校で必要とする経費をやつてもどこまで有効に使へるか?うまく使うのは校長の腕でそれを予算書通りにとらわれゝば分捕主義になり焼け石に水となつてしまふ。まとめてものを買うのには特別な予算でももらふかしなければならない。これを重点的にやつてゆけばできるのではないか、二年三年という先の計画をたててやつて行くならば少い予算でもやつてゆけるのではないか、追加予算を校長は簡単に考えてゐる。
簾藤 社会教育委員会の方で村立図書館の経費を幾らかづつでも計上してもらつて中学と合併してもらつたら図書も充実してゆくのではないかと思う。
大野 学校は必要な経費をどんどん要求してもらいたい。村会ではこれらのものを取捨選択するから、競技場の問題でもせまいから米山さん買はうぢやないかと相談したら米山さんも何とかなるだろうという自信を持つてゐるというので村長だか校長に申入れたらあれで十分だと云つた。我々の心配はすつかり現実となつた。作り上げてしまつてからせまいとは何ごとだということになる。
村長 校長に話したらあれぢゃせまくて駄目だと云うことを云つてゐる。
大野 校長の云ひ方が氣にいらない。菅谷は郡の中心であるから先生も生徒も自信をもつて運動できるやうにしたい。少くとも正式なテニスコート、バレー、バスケツトのコートを作つてやりたいと念じてゐた。
司会者 大分時間もたちましたので、このへんで終りたいと思います。
(一九五〇年七月二十四日記)