第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
菅谷小学校
2007年(平成19)4月3日、太平洋戦争末期、菅谷村(現・嵐山町)に学童疎開していた東京の有馬国民学校(現・中央区立有馬小学校)の卒業生が62年振りに来町し、安養寺で大蔵の人たちと再会しました。
1944年(昭和19)9月、空襲の危険をさけて、3年生から5年生までの児童が嵐山渓谷にあった松月楼(しょうげつろう)を宿舎とし、翌年5月からは大蔵の安養寺、向徳寺などに分かれて集団生活をおくりました。
当時10代であった地元の皆さんから、太平洋戦争末期の苦しい食糧事情の中での疎開学童との交流が語られました。
※箱崎国民学校は、1944年(昭和18)に東京市有馬国民学校、日本橋高等小学校と合併し東京都有馬国民学校となった。現在は東京都中央区立有馬小学校。