第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校
菅谷小学校
越境問題浦和地裁で決定
菅谷小中学校への区域外就学問題は、嵐山町、東松山市、滑川村三者の合意で、協定どおり51年度打ち切りという方向で決まったかに見えましたが、浦和地裁の決定により一部受け入れを認めることとなりました。
『嵐山町報道』266号 1977年(昭和52)6月
東松山市上唐子地区の父兄と児童一四六名は、東松山市教育委員会を相手に、東松山市唐子小学校南中学校への入通学校指定処分取消しを求める訴えを浦和地裁に出していました。
これに対して、四月八日を浦和地裁は次のような内容の決定をしました。
①嵐山町と東松山市の間に、事務委託の協議は成立した昭和五十年三月五日以降に入学した児童生徒に関しては、協議書どおり、昭和五十二年度からは東松山市の学校に通学する。
②協議成立以前に入学した児童生徒(小学校四年生、五年生、六年生)に関しては、この事務委託の範囲外で、なお菅谷小学校への就学関係は続いている。
というものでした。
嵐山町では、この決定を受けて議会の全員協議会の承認を経て、東松山市上唐子地区と、また滑川村六軒地区にも同様に、従来通学していた児童のうち、小学校四年生、五年生、 六年生については菅谷小学校へ受け入れることとしました。
それぞれの市町村の学校へ就学した児童もあり、現在菅小へ通学しているのは、三八人となっています。