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第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校

第1節:寺子屋から学校へ

安藤貞良翁の筆塚に立つ

 表面の碑文には次の如く記されてある。

   安藤翁頌徳碑
         正三位勲一等男爵千家尊福篆額
身を修め業を習ひ誠忠勤倹夙に木鐸の任に當りて風教を維持し闔境其薫化を受く翁の如きを徳行の士といふべきか翁幼名は運太郎後貞良と改む安藤氏武蔵国比企郡七郷村古里の産考諱は幸徳妣名は佐仁宗家長左衛門嗣子なし因りて其後を襲ぐ蓋し其先裔藤原氏より出伝て邑の旧族たり中興の祖山三郎越後高田城主徳川忠輝候に仕へ信越地方に采邑を領せり後其故土に還る当時の古文書現に家に蔵すといふ翁幼より学を好み和漢の典籍を攻む既に長じて徳川幕府の摩手地頭有賀滋之より中小姓を命ぜられ後名主となり苗字帯刀を許され明治維新に降り戸長村長郡会議員等の職を閲歴して治蹟咸挙る公餘帷を垂れて教授す子弟風を慕ふて来り学ぶ者多し明治三十九年八月十七日歿す年七十有ニ頃者其の受業生等胥謀り碑を建てゝ翁の徳業を不朽に伝へんと欲し余に文を請ふ翁は実に余の岳父たり誼辞すべからず其の大概を挙げ掲ぐるに国歌一首を詠して銘に代ふ曰く
   里人のふみゆく道の教草にほひゆかしきこれの石文
       官幣中社金鑚神社宮司 正六位勲五等金鑚宮守撰
                     熊谷 野口膳謹書
  大正元年十一月

 裏面には筆第四十四名。発起人十名、親戚十二名、賛助員二十二名と幹事、翁の子供達の名前が連記されている。

筆弟 安藤照武 大塚民蔵 安藤力蔵 本田眞下喜三郎 飯島貞吉 安藤伍良右エ門 安藤榮次郎 飯嶋万次郎 安藤才輔 大塚鷲太郎 安藤熊蔵 千野重兵衛 安藤和助 吉場米吉 吉田島田久松 越畑強瀬テツ 大塚熊吉 下横田久保田房吉 黒田沼尻寅吉 安藤仙重郎 安藤九兵衛 安藤富右エ門 吉田小林常吉 安藤角次郎 安藤龍太郎 牟礼吉田イセ 安藤金蔵 安藤文右エ門 奈良梨門倉喜惣次 熊谷瀧澤與太郎 田島弥三郎 西古里森浦次郎 〃千野孫十郎 木村豊次郎 飯島弥十郎 新井源次郎 福田神山助次郎 安藤喜三郎 吉田小林平三郎 〃荒井新兵衛 飯島幸蔵 東京飯島安助 千野安右エ門 千野多一郎

発起人 安藤照武 飯嶋万次郎 安藤九兵衛 安藤金蔵 安藤文右エ門 田島弥三郎 安藤喜三郎 安藤廣吉 安藤徳次郎 安藤角次郎

親戚 児玉郡青柳村ニノ宮金鑚宮守 熊谷野口膳 寄居清水清五郎 和泉久保郡作 鷹巣吉田定助 肥土高橋守平 安藤喜三郎 安藤仙吉 寄居清水茂一郎 人見清水周助 西古里轟重定 牟礼内田紋次郎 和泉久保賢吉
長男安藤仙蔵 次男安藤浦次郎 嫡孫安藤寸介 長女安藤ます 二女金讃ふく 三女安藤ため 四女清水たね/ 庭造門松染吉/伊藤留吉

賛成員 重輪寺住職英文映 板井篠場豊盛 越畑船戸揖夫 岩田孝登 中村國治 飯島貴壽 中村清介 千野房吉 飯島友助 飯島善太郎 田代積 田島伊右エ門 安藤巳代吉 安藤多三郎 安藤熊蔵 安藤伊十郎 安藤喜蔵 安藤喜一郎 安藤新兵衛 安藤武十郎 安藤辰五郎 安藤所十郎  安藤常吉

 嵐山町大字古里字尾根地蔵庵の西南、小川熊谷旧県道道沿に安藤貞良翁頌徳碑とその実弟安藤仙重郎の尽忠碑が立並んで、心ある人士の関心を呼んでいる。
 金讃宮守宮司の撰文の如く、貞良翁は学徳に勝れ、行政面において幕末より明治中初期における近在の実力者であり、また居宅の一部を教場として寺子屋教育にも力を入れ、先代長左衛門に劣らぬ手腕家であった。
 安藤昭武、才助、仙重郎等は貞良翁の実兄弟で、貞良は安藤宗家を嗣ぎ、照武は実家の後をとり、才助は若くして死亡、仙重郎は軍人を志し、明治十年(1877)、西南の役で戦没している。

安藤専一『郷土の今昔』(1979年1月)から作成

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