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第6巻【近世・近代・現代編】- 第4章:教育・学校

第1節:寺子屋から学校へ

偉大なる村夫子 大澤晩斎先生

 嵐山町大蔵安養寺に大澤晩斎(ばんさい)の墓碑がある。その碑文によって彼の足跡を辿(たど)ってみよう。

 晩斎は1831年(天保2)9月9日に生まれた。通称国三郎、長じて八右衛門と称したが、明治維新後は国十郎と名乗った。晩斎・澤大器(たくたいき)はその号である。

 先ず「小にして学を好み寛山(かんざん)師に就いて経典詩書を学ぶ」とある。彼は11歳で寛山和尚【1814年(文化11)生まれ。菅谷東昌寺、後に広野広正寺住職。筆弟一千有余人】の門に入り、学兄関口東明(現東松山市神戸(ごうど)で私塾を開く、明治になり神戸村戸長を勤める)と共に切磋琢磨して経典・詩文・言語音韻に就いて本格的に学んだ。14歳の時書き写した『聚文韻畧(しゅうぶんいんりゃく)』『両韻辧疑(りょういんべんぎ)』等は音韻に関する辞書で、高等な学識なくしては読むことすら出来ない書冊であるが、彼はそれを現在の中学生位の年齢で筆写解読していた。正に想像を遙かに越した神童的存在であった。

 次いで「壮年にして幾多の児童を訓陶(くんとう)す」とある。則ち晩斎は1852年(嘉永5)、22歳の時、自宅に寺子屋を開設した。1872年(明治5)に閉塾されるまでの21年間に大蔵・鎌形・根岸・将軍沢の村々から88人の弟子が入学し、読み・書き・算盤(そろばん)の初学を学んだ。「学びて厭(いと)わず教えて倦(う)まず」を座右に教導の業に携わった功は注目に値するものと思う。彼は閉塾後も1878年(明治11)には大蔵学校の設立議員となり、1881年(明治13)には、郡立中学校設立議員に、また1882年(明治15)から1885年(明治18)までは比企郡第九学区(菅谷学校・鎌形学校・大蔵学校)の学務委員として学校の設立、運営に尽瘁(じんすい)した。

 続いて「翁また内に家産を整え外に村治に力(つと)む」と記(しる)されている。彼は『論語』学而(がくじ)篇の「行(おこ)ないて余力(よりょく)有(あ)らば、則(すなわ)ち以(もっ)て文(ぶん)を学(まな)べ」*1、それは「書物を読むだけが学問ではない。学問とはまず正しい生活態度の実践から」という気構えだったから、学問に耽溺(たんでき)することはなかった。営々として一町歩余の田畑を耕作し、1890年(明治23)の内国(ないこく)勧業博覧会には「糯(もちごめ)」を出品し第三位に入賞した程の力田の人で、農耕に出精する篤農家(とくのうか)でもあった。

 また家人に対する教導も怠(おこた)らなかった。1872年(明治5)、焼失した家屋再建のため十五年の歳月を費やした時、その詳細を『居宅造営簿』に記し、「是則ち家業を勉強せしめん事を欲れは也」と諭(さと)している。又1900年(明治33)、77歳の喜寿の祝の席で、十ヶ条の家訓を書き与えている。その終りに「躬(みづ)から不直にして其子弟を矯(ため)んと欲とも得べからず」とある。親の背を見て子の育つことを喝破した金言である。

 彼はいづれの時にも家を斉(ととの)えるために意を用い、又村政にも力を尽くした。1854年(安政元)、22歳の若さで年番名主となって以来、明治に入っても大蔵村副戸長に任ぜられ、1877年(明治10)の地租改正においては地位等級模範村議員に選任され、近隣14ヶ町村を巡回指導しその査定に当たった。

 1914年(大正3)、「賤を愁(うれ)えず更に福を需(もと)めず。水を楽しみ山を楽しんで等倫(友人)を慕(した)う」と詠い、「心従の躬(からだ)となりぬ花と月」と心のおもむくままに行動しても世の法則からはずれることはなくなったという『論語』為政(いせい)篇にあるような心境に達し、84歳の長寿を全うして4月16日寂滅(じゃくめつ)した。思えば大澤晩斎は教育と行政の黎明(れいめい)期における偉大な指導者であり功労者であったというべきだろう。

 『博物誌調査報告 第7集』には大澤晩斎の主著『餘力集(よりょくしゅう)』(大澤知助家文書)の解読・解題と「大澤晩斎略記」、「大蔵の寺子屋」が所載されている。詳細についてはそれらをご覧いただきたい。

博物誌だより95(嵐山町広報2002年6月号掲載)から作成

*1:子曰(しいわく)、弟子入則孝(ていしいりてはすなわちこう)、出則悌(いでてはすなわちていたれ)。謹而信(つつしみてしん)、汎愛衆而親仁(ひろくしゅうをあいしてじんにちかづけ)。行有余力(おこないてよりょくあらば)、則以学文(すなわちもってぶんをまなべ)。(現代語訳:老先生の教え。青少年は家庭生活にあっては孝を行ない、社会生活にあっては目上の人に従え。常に行動を謹み、言行を一致させ、世人を愛することに努め、他者を愛するありかたに近づけ。それらを行なって、なおまだ余裕があるならば、古典を学ぶことだ。【加地伸行『論語全訳注』(講談社学術文庫1640、2004年)22頁】)

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