第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光
二瀬下流200mには、水深2.5m〜3mの穴が11、その下流の右岸側30mには水深2.5m〜5mの穴16、左岸の興農研修所梅林下流50mには水深3.5m〜5mの穴5が描かれている。都幾川での砂利採取後、そのまま放置されたものである。7月には小学三年生の児童が溺れる事故が起こった。
昭和三十五年五月二十七日
菅谷小学校長 藤野秀谷菅谷村教育委員会教育長殿
児童通学途上の危険防止について
行政書類
最近都幾川に於て興農研修所下並に二瀬附近に別紙略図の如く砂利採取跡に多数の危険箇所があり、何れも水深甚しく学童の事故未然防止のため、至急、村当局の御配慮を御願致します。
至急
【以下鉛筆で加筆】
学校と電話連絡の結果
学校長の意見としては、唐子小学校PTA会長関田氏(県議)に依頼して県土木課に陳情し、採取跡を埋めさせることにしたいから、それには委員会からも出向いてお話ししてもらいたいとの事です。昨年は唐子の方から学校に連絡があったのでお話した由。
昭和三十五年七月二十日
菅谷小学校長 藤野秀谷菅谷村教育委員会殿
児童事故発生報告
行政書類
左記【下記】のとおり事故が発生したので報告します。
記
一、事故の種別 水難
二、学年氏名 三年生 〔氏名略〕
三、日時 七月十六日午後二時半(放課後)
四、場所 都幾川二瀬
五、状況 別紙の通り(現在無事通学)
六、措置 本人は勿論、全校児童に厳重に注意。尚救出者に関しては駐在所より表彰方申請。
以上
おぼれている児童を救出
一、日時 七月十六日(土)午後二時頃
一、場所 菅谷地内、都幾川の二瀬(砂利採取の穴)
一、おぼれた児童 〔氏名略〕(菅谷小学校三年)
一、救出した人 内田政一(大字平沢)会社員「あらまし」 十六日の午後、同場所に、六年生の友人二人と泳ぎに行き、砂利穴の水の中で、おぼれるまねをしていて、それが、本当になり、おぼれかかってしまった。大事に至らずに済んだのは、内田政一さんのおかげであります。
行政書類
七月二十日 報告者 木村忠夫