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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第4節:養蚕・畜産

武蔵酪農創立四十周年の歩み

乳牛導入についての思い出

井上久雄 

 武蔵酪農の北海道乳牛導入事業は、昭和35年(1960)夏より第1回が実施され、約40回位総頭数1500頭以上の初妊牛、経産牛、優良牝牛が導入されました。
 始めの頃は貨車輸送で、ワム(8頭載)、ワ(6頭載)の貨車で1回に3〜4頭位が到着しました。嵐山駅では貨車扱いが出来ないために小川町の貨車ホームで牛の引き取りを行いました。又当時は牛専用トラック等もなく普通2tトラックに三角枠を組み2頭の牛を乗せて配送したものです。こんな簡単な枠のため途中でトラックから転落した事故もありましたが大事に至らなかったと思います。又貨車の到着時間が夜のことが多く翌日午前十時頃までに清掃し返還する事は大変忙しいことでした。その後嵐山駅でも貨車到着が出来るようになり牛の配送も便利となりました。
 上乗りさん(貨車1〜2両を受け持ち牛の乾草給与給水等をする人)について。津軽の東海林牧場の牧夫だと思いましたが結婚し新婚旅行に熱海温泉に行くのに東京まで二人で上乗り、その間の旅費は只その上、上乗り料金を貰ひ旅行の費用にしたときの事を聞き微笑ましく思ったものです。二人で貨車に乗車中ベッドが頑丈に出来ていなかったのか?二人の愛が強かったのか?牛の背中の上に落ちてしまい元通り直すのに大変苦労したとのこともあり上乗り仲間より大笑いされたそうです。
 夏は非常に暑く、冬は牛いきれと、貨車の中の環境は最悪です。馴れないと食事、トイレに行くのにも大変なことだと上乗りさんに苦労話を聞かされたものです。或る秋の輸送の時、台風のために函館で一週間も連絡線待ちをしたので乾草も殆んど無く、水だけで来たこともあったそうです。こんな時は牛を貨車積みしてから10日間もたって到着したのだと思います。貨車より降りてからも体がふらついているような事が有ったように思いました。購買時の面影もなく巻き腹となりみすぼらしい姿でした。牛の疲労度は最高だった事でしょう。
 その後、東北自動車道が仙台まで開通するようになり、大型トラック輸送が実施され輸送機関も短縮され3日位にて到着出来るようになりました。牛の疲労度も格段に改善されて現在に至っている状態です。
 稚内市勇知地区について、ホルスタイン農協の購買担当の木伏技師より遠くて不便な所だが小型で胃腸の丈夫な牛が居るとの事で早速田村参事と二人で、札幌発午前十時頃の急行に乗り午後五時頃稚内市に到着、市内より内陸部に35km位はいった所に、勇知農協があり、阿部さんと云ふ購買係により管内農家を巡回して、購買に当りました。道南の牛と比較して、足が短く、背が低く、粗飼料を多く喰っているためか胸囲は充分あり被毛も長く一見して粗野に見える牛でしたが丈夫であり基礎飼料も少なくてすむ経済効率の良い牛で武蔵の組合員に合ったような牛でした。1車購入するのに2日間位掛かったものです。その後この宗谷地方でも牛の購買に慣れて、こちらの要望を満たすようになってくれたと思います。
 阿部さんの後任の吉田さんですが、ユニークな人で、ポーラー化粧品のセールスマンで札幌より当地に来て農協職員として奉職するようになった方です。スマートで顔面の彫り深い人で宗谷地方に居ないような、そしてユーモアのある人で農家の信頼度の厚い購買担当者でした。組合にも牛の追跡調査のために来たこともあり、玉川支部に行ってもらったと思います。後年稚内支所の参事として勤務されて居たと思います。
 豊富農協管内の購買時であったと思いますが、放牧場でヒ熊に襲われて尻に熊の爪跡をつけた牛も購買したこともあります。多分唐子地区の組合員に抽選されたと思います。
 勇知抜海駅近くの西岡牧場でエコーランド系の2産目の牛を購買しました。この牧場の親父が特別の変り者であり農協の組合員にもならず、息子さんのみ組合に加入すると云った牧場であり借り入れ金など全くなく特別扱いされていた人と聞きました。此の時は経産牛の希望者は無くて初妊牛のみでありました。小型で黒い皮膚のよい牛であり、抽選会で町田さんに希望を曲げて取ってもらいました。この牛の系統が川島の町田さんで増えた、エコーランド系で現在も飼育されている牛です。
 2月購買では羽田沖で全日空機の墜落の残骸を見ながらの飛行は気持の良いものではありませんでした。千歳空港着陸前に田村参事はビールを注文するような事があり内心気持ち良くなかった事だったのでしょう。私も同感でした。
 勇知、厳冬2月購買の馬橇について、此の時期、除雪した道路以外はジープでも動く事は不可能なので馬橇で購買に当りました。元気の良いアングロノルマンの4才馬に箱付馬橇を引かせて4人乗りで約14km位の雪道山道を巡りました。この箱の中には品川アンカ2ケ毛布2枚で足を暖めながらですが寒くて手足が痛くなり橇より降りて雪道を走りやっと寒さに耐える事が出来た始末です。北国の冬の日は雲が来るとすぐ吹雪となり寒さが一段と厳しく感じられます。歩くと長靴の下の雪が、キュキュと鳴くのです。本当に雪国の生活は大変だとつくづく思いました。

『武蔵酪農創立四十周年の歩み』118頁〜119頁 武蔵酪農農業協同組合, 1990年1月
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