ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第4節:養蚕・畜産

武蔵酪農創立四十周年の歩み

武蔵酪農40周年を迎えて

嵐山町 杉田善作 

 組合40周年を迎えお目出度う御座居ます。
 かえり見れば私達は埼玉酪農組合より菅谷支部の山田、奥平、鯨井氏等の日夜を分たぬ勧めに依りまして、武蔵酪農組合第2支部としてお世話に成りました。明治乳業からは伊東所長、昭和31年でした。この当時は各組合とも組合員獲得に熾烈を極めた時代。菅谷第二部内でも100頭を数える様に成り、酪農なくして農家経営なしと云う様な農村事情でした。
 菅谷第1、第2支部は組合の指導的立場にありました。村当局も酪農協会にも理解を示され仔牛の無償買付も行われました。私も福島、藤野両組合長さんと一緒に役員としてお世話になりました。山田専務役員等の計らいに依り飼料倉庫の増設、配合飼料等の機械設備を備え、健全な組合活動を続けて参りました。
 各集乳所へのクーラーの設備も会社の援助を戴き乳質の改善にと取りくんで参りました。
 昭和38年(1963)5月には日産100石を集乳処理するまでに組合員も努力致しました。
 経営形態も少数から多頭飼育へと変り、規模拡大される様に成って参りました。太郎丸地区、月輪地区に於ては、飼育の共同経営も実施されました。当時は現在と違い牧草畑も少なく山林を利用しての経営でした。協同経営にもなかなかむずかしく。相手は動物、計画通りには行かなかった様で大変苦労された様でした。
 十年一昔と云えますが多頭化経営に付いて行けなく成り、一人二人と組合を脱退するものが出る様になり、出稼あるいは会社にと転向する社会情勢と移って参りました。幾歳月の過るのも早いもので組合から離れて20年夢の様です。
 平安の時代農産物も自由化となりまして大変とは思いますが、残って居ります皆様、若い力と経営努力に依りまして健全なる酪農業に邁進して下さい。必ず立派な業績が上がると信じて居ります。
 益々組合も発展致す事を希望致して居ります。私も早70才、30年前思い出し懐かしくペンを走らせて戴きました。当時一緒にお世話になりました役員さんも何人か他界された方も在る様に伺って居ります。こうした方々の御冥福をお祈り申し上げると同時に、組合員職員の皆様方の御健康と御多幸を御祈念申し上げまして、過ぎし日を想い出し終りと致します。失礼致しました。

『武蔵酪農創立四十周年の歩み』101頁〜102頁 武蔵酪農農業協同組合, 1990年1月
このページの先頭へ ▲