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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第4節:養蚕・畜産

武蔵酪農創立四十周年の歩み

酪農の思い出

滑川町 江森重良 

 武蔵酪農と云えば名前を聞いただけでも懐かしい。昔の彼女に再会したような感がする。其の組合が四十周年を迎えたとは長いこと忘れていて申し訳ない次第です。組合発足間もなく御世話になった三十有余年前だ。旭運輸に木炭車一台。毎日修理をしていたようだった。福田地区方面の集乳は長谷部輪店の社長正ちゃんだった。これもやっぱり中古車でやっと廻って来た。たまには後押もさせられたのをおぼえています。今は当時の苦労が実を結び共に大社長になって居られる。
 獣医陣も田村さん一人で広範囲をかけめぐっていた。その頃乳牛の流感が出てたちまち蔓延してしまった。当時細かった田村さんは寝食を忘れて治療に当たったのを良くおぼえています。今の時代のように自動車でもあればよかったがその後やっとオートバイが購入され井上さん、小鷹さんと入って来た。
 組合長も初代吉田さん温厚な人でした。川島町の福島さんも長く組合長をやって下さって、歴代立派な組合長のもとで十石、二十石、五十石、百石祝いが出来たものです。専務も大塚、山田と立派な実績を上げられました。同年代の鯨井君も武蔵酪農協の為に貢献した人です。酪農不況の中良く努力されました。
 酪農も貿易自由化と後継者の問題で苦しい立場になっていることで、現役の武蔵酪農の皆様、新鮮な牛乳を十二分呑んで武蔵酪農農業協同組合を永く持続させて下さい。
 武蔵酪農農業協同組合の発足四十周年を迎えるに当り唯思いのままあの頃の牛乳はおいしかった、もう一度ゲートボールをやめて乳牛を飼育しようと思う時もある。然し俺の人生に余力は少ない。現在の組合員の皆様が大いに頑張って頂き度い、そして長く武蔵酪農を存続させて下さい。益々発展を祈ります。

『武蔵酪農創立四十周年の歩み』98頁 武蔵酪農農業協同組合, 1990年1月
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