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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第4節:養蚕・畜産

武蔵酪農創立四十周年の歩み

創立40周年の懐古

滑川町 篠崎高一 

 武蔵酪農協発足40周年おめでとうございます。昭和25年(1950)春組合設立、半世紀に近い足跡をのこし歴史を生んだ組合に今新たな感慨を覚えるものであります。当時私は23才酪農をはじめて3年半、まだすべての面で初心者でありました。地域の先輩達になにも知らず従って秋深い24年11月嵐山町の中島精米所の庭先が初出荷でありました。
 そして翌春埼玉へ初進出した明治乳業系酪農協として産声をあげたのでありました。当時の先輩指導者達の決断と御苦労大変だったろうといつも考えお察ししております。当時埼玉酪農といえば森永系酪農協として埼玉に並ぶものなしの大組織でありその圧力やいかばかりだったかと察するにあまりありますが、屈せず決断し独立した先輩に今更乍ら敬意と感謝を表するものでございます。そして誕生がきびしい程仲間意識が強くなるものと思います。武蔵酪農の伝統である同志結合の所以はその辺に根ざしたものと考えます。私も常にそうした誇り高き武蔵の一員として恥じない組合員たるべくつとめたものでありました。
 しかしその後の組合は平坦な道ばかりでなく幾多の苦難な道が待ちうけておりました。小川プラントの問題、比企酪農協の拾円牛乳にからんだ問題、いつも続いている他酪農協との組合員の争奪戦、これには夜がけ朝がけ夜明かしの晩もしばしばあり役員はもとより参事、獣医の先生方こぞって奮斗した事は特に思い出深いものでございます。又組合内部の意見対立も数年続いた。思想的背影もあるやに感じられたが一時は組合を二分する恐れすら心配したものでした。そうしたさまざまな事件の背影にある時代の流れ。その時々の役員、参事等ご苦労が偲ばれよくぞここまで来たものだと実感するものでございます。
 私もその頃地域の同志の結合による協業酪農に夢をのせ希望をふくらませておりました。昭和35年(1960)から約5年間楽しみも苦しみも味わい時代の変転に対応出来ずはかない夢と消え去った訳でありますが、今当時を回顧してやはり素晴らしいころだったと自負しております。その頃私は酪農に休日を、とか、企業的酪農をと云った思想と、果ては自由社会の中の集団農業は協業だと地域の農地を含めて法人化し、企業的農業の楽園をと……。しかし時代は益々変化成長し経済発展を進めていました。追いつけない経済成長でありました。あの手この手と対策に必至になったがついに夢破れ消え去る運命にありましたが、武蔵酪農あればこそ画けた夢であり指導陣の充実がたよりの計画でありました。お世話になった事に感謝し乍ら若さあればこそのえがけた夢だったかと懐かしみ大事にしまっております。
 その後組合は多頭化、専業化の時代を迎えたのでございます。年々組合員の減少が続きその分組合は飼養頭数がふえていきました。玉川地区の組合加入も組合に大きな希望をあたえました。日産2万kg達成祝も組合の全盛期として懐かしく思い出されます。そしていつかは来る組合員百名時代にそなえたのでございます。及ばず乍ら私も組合指導陣と共に安定した専業経営のため微力をつくし共に勉強したものでありました。しかし酪農業をとりまく社会情勢の変化即ち押し寄せる都市化の現象は畜産公害をもたらし、規模拡大の阻害となっていったのでございます。組合も主生産地だった嵐山、滑川地区がますます減少し、玉川、川島地区へと移行していったのでございますが、それは組合指導部の一貫した施策の成果であり、ここにめでたく40周年を迎えられる大いなる力であったと信じるものでございます。
 不幸にして私は酪農歴33年、昭和53年(1978)末を最後に時代の流れに抗しきれず、幾多の夢と生涯をかけた希望を捨て転業の止むなきに至りましたが、拾年たった現在も目を輝かしひたむきに生きた頃の自分を懐かしみ乍ら時折テレビに移る乳牛を、牧場を、そして搾乳をしたしんでおります。
 組合発足当時お世話になった先輩の方々も今は数少なくなりました。他界された方々には只々御冥福をお祈りするのみでございます。そして今は退職されたと聞く田村参事、井上先生本当にお世話になりました。特に田村先生には創立と同時に組合職員として活躍され今もあの目黒500の音が忘れられず耳に残っております。あの時伊東先生と共に明治に戻れば輝ける将来が待っていたろうにと、武蔵のために一生をかけてくれた先生に深甚の敬意を表すものでございます。
 40周年記念誌に寄稿をお許しいただき思い出す儘に書いてまいりました。若しも失礼な点ありましたらお許し下さい。私も今は新たな人生の中で再び希望をもってそれなりに働いております。組合員の皆々様、益々御精進され御繁栄の程お祈り申し上げます。そして末ながくおつきあい御指導の程宜しくお願い申し上げます。終りになりましたが寄稿の栄を与へて戴いた役員の皆々様に厚く御礼申し上げまして粗文を終りといたします。有難うございました。

『武蔵酪農創立四十周年の歩み』94頁〜95頁 武蔵酪農農業協同組合, 1990年1月
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