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第6巻【近世・近代・現代編】- 第3章:産業・観光

第4節:養蚕・畜産

武蔵酪農創立四十周年の歩み

私と酪農

小川町 成川昇兵 

 私が酪農を始めたのは、昭和22年(1947)8月の事でした。嵐山町広野の杉田重次さんから1万3千円で1頭の仔牛を購入致しました。それは。非常に暑い日でした。リヤカーに仔牛を乗せ、徒歩で自宅まで引いて来ましたが、朝から夕方までかかり大変な作業でした。昭和23年(1948)に埼玉酪農に入りまして、2年間総会にも出席しましたが脱退し、昭和25年(1950)に武蔵北部酪農設立と同時に入会致しました。同年3月初めて仔牛が出産し、原乳は東京乳業へ出荷しまして、出荷場所は、竹沢村下勝呂の宮沢辰平氏宅まで出荷し、必ず朝6時までには、横塚元吉さんが集乳に来ました。
 昭和26年(1951)11月23日に2回目の出産の時の事です。非常に難産で、集乳所所長伊東先生の出向を願い、6時間がかりで出産しましたが、仔牛は助かりましたが、親牛は残念ながら死んでしまいました。この時力が落ち、酪農をやめようかと思いましたが諦めきれず、親戚の群馬県松井田町の藤巻さんから初産の牛を購入し、酪農を続けました。昭和29年(1954)に搾乳牛3頭になり、同年度夏に行われた夏乳増産共励会に於いて一等賞になる事ができました。組合長浜中東重郎さんの時でした。昭和30年(1955)頃組合理事になりました。その頃組合長が決まらず、5日間もの間役員会を開催し、藤野組合長、鯨井副組合長が決まりました。その頃、わが家の経済状態は悪く、農業近代化資金を借り、経済の立て直し及び乳牛の増頭を計る事ができました。その借金も昭和40年(1965)には、返済が完了する事ができました。昭和43年(1968)12月23日に力士男山應輔の記念碑を立てる際には、組合の協力もいただきました。昭和55年(1980)家の新築もできましたが、これも酪農を続けてやっていたからです。酪農をやっていて本当に良かったと思います。

『武蔵酪農創立四十周年の歩み』93頁 武蔵酪農農業協同組合, 1990年1月
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